出会いと信仰の奇跡:聖書の言葉から

(ルカによる福音書 9:37-47)

原文

翌日、一同が山を下りると、大勢の群衆がイエスを出迎えた。

すると、群衆の中から一人の男が叫んだ。「先生、どうか息子を見てやってください。一人息子です。

御覧ください。霊が取りつくと、この子は突然叫び出します。霊がこの子に痙攣を起こさせて泡を吹かせ、さんざん打ちのめして、なかなか離れません。

お弟子たちに、この霊を追い出してくださるように頼みましたが、できませんでした。」

イエスはお答えになった。「なんと不信仰で、ゆがんだ時代なのか。いつまで私は、あなたがたと共にいて、あなたがたに我慢しなければならないのか。あなたの息子をここに連れて来なさい。」

その子が来る途中でも、悪霊は投げ倒し、痙攣を起こさせた。イエスは汚れた霊を叱り、子どもを癒やして父親にお返しになった。

人々は皆、神の偉大さに心を打たれた。

「この言葉を耳に収めておきなさい。人の子は人々の手に渡されようとしている。」

弟子たちはその言葉が分からなかった。彼らには隠されていて、理解することができなかったのである。彼らは、怖くてその言葉について尋ねられなかった。

弟子たちの間で、自分たちのうち誰がいちばん偉いかという議論が起きた。

イエスは彼らの心の内を見抜き、一人の子どもを引き寄せ、ご自分のそばに立たせて、

出典

(ルカによる福音書 9:37-47) 『聖書 聖書協会共同訳』より引用

妙機牧師の教え

ある日、一同は山を下り、イエスを待ち受ける大勢の人々に出会いました。その中の一人の父親が切なる思いで叫びました。「どうか息子を助けてください!」彼の息子は悪霊に悩まされており、誰にも助けられない状態でした。この姿はまさに、不信仰と苦しみが交錯する時代の象徴でありました。

イエスは、群衆に向かって言いました。「なんと不信仰で、ゆがんだ時代なのか。」その言葉に込められた意味は深いものでありました。イエスはその子を呼び寄せ、汚れた霊を叱ることで、癒しをもたらしました。その瞬間、人々は神の偉大さを目の当たりにし、心が打たれたのです。

「この言葉を耳に収めておきなさい。人の子は人々の手に渡されようとしている。」とイエスは告げますが、弟子たちはその意図を理解できませんでした。彼らの心には、どのようにして偉くなれるかという疑問が渦巻いていたからです。

イエスはその時、弟子たちの心の中を見抜き、一人の子どもを引き寄せ、そばに立たせました。「子どもにならいなさい。」という教えは、謙遜と信仰の大切さを説くものでした。この出来事は、私たちに対する信仰の呼びかけであり、イエスの愛と癒しの力が注がれる瞬間でもありました。

信仰を持ち続け、神の力を信じることで、私たちもまた奇跡を体験することができるのです。この出会いの中で、私たちは自らの信仰を深めていくことが求められています。

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