神の宮:偽証と真実の証しを通して学ぶ聖句
(マルコによる福音書 14:53-58)
人々は、イエスを大祭司のところへ連れて行った。祭司長、長老、律法学者たちが皆、集まって来た。
ペトロは、遠くからイエスの後に付いて、大祭司の中庭まで入り、下役たちと一緒に座って、火にあたっていた。
祭司長たちと最高法院の全員は、死刑にするためイエスにとって不利な証言を求めたが、得られなかった。
イエスに対する偽証をした者は多かったが、一致しなかったのである。
ついに、数人の者が立ち上がって、イエスに対する偽証をして言った。
「この男が、『私は人の手で造ったこの神殿を壊し、三日のうちに、手で造らない別の神殿を建ててみせる』と言うのを、私たちは聞きました。」
(マルコによる福音書 14:53-58) 『聖書 聖書協会共同訳』より引用
人々はイエスを大祭司のもとに連れて行った。この時、祭司長や長老たちが集まり、イエスに対する不利な証言を求めた。しかし、驚くべきことに、彼らの試みは成功しなかった。多くの人々が偽証を試みたが、彼らの言葉は一致しなかった。
この状況下で、ペトロは遠くからイエスを見守っていた。彼は大祭司の中庭に入って火にあたっていたが、その心には不安が広がっていた。私たちも、人々の目が光らざるを得ない状況にあるとき、信仰を保つことがどれほど難しいかを思い知らされる。
偽証をする者たちの中には、イエスが「人の手で造ったこの神殿を壊し、手で造らない別の神殿を建てる」と言ったという言葉を引用する者もいた。しかし、この言葉の本質を理解することはできなかった。イエスが求めたのは、肉体的な神殿ではなく、信仰の新しい形であった。彼の教えは、信じるすべての人に新しい力と希望をもたらすものであった。
聖書は私たちに、真実を追い求める重要性を教えている。「あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にする」(ヨハネ8:32)という言葉を思い出すべきだ。信仰によって結ばれた共同体は、言葉の背後にある真実を伝える責任がある。偽証に惑わされず、真実を愛する心を常に持ち続けようではないか。この聖句を通じて、私たちの信仰がますます深まることを願う。