親と子の愛と悲しみ:ダビデ王の物語から学ぶ

(サムエル記下 18:24-19:1 [18:24-33])

原文

ダビデは二つの門の間に座っていた。見張りが城壁の門の屋根に上り、目を上げると、男がただ一人走って来るのが見えた。

見張りは声を上げて王に知らせた。王は、「一人だけならば、良い知らせをもたらすだろう」と言った。その男が近づいて来たとき、

見張りはもう一人の男が走って来たのに気付き、門衛に呼びかけて言った。「もう一人、走って来る者がいます。」王は言った。「これもまた良い知らせだ。」

見張りは、「最初の男の走り方は、ツァドクの子アヒマアツの走り方のように見えます」と言った。王は、「あれは良い男だ。良い知らせを持って来たのだろう」と言った。

アヒマアツは王に向かって、「平安がありますように」と叫び、地にひれ伏して礼をし、言った。「あなたの神、主はたたえられますように。主は、王様に手を上げる者どもを引き渡してくださいました。」

王が、「若者アブシャロムは無事か」と尋ねると、アヒマアツは答えた。「ヨアブが王様の僕とこの僕とを遣わそうとしたとき、大騒ぎが起こっているのを見ましたが、それが何であったか、私には分かりません。」

王が、「脇に寄って、立っていなさい」と命じたので、アヒマアツは脇に寄り、そこに立った。

そこへクシュ人が到着した。彼は言った。「王様、良い知らせをお受けください。主は今日、あなたに逆らって立ったすべての者の手から、あなたを救ってくださいました。」

王はクシュ人に、「若者アブシャロムは無事か」と尋ねた。クシュ人は答えた。「王様の敵、あなたに逆らって危害を加えようとする者はことごとく、あの若者のようになりますように。」

王は身を震わせ、門の上の部屋に上って泣いた。彼は上って行きながらこう言った。「わが子アブシャロムよ、わが子よ、わが子アブシャロムよ。私がお前に代わって死ねばよかった。アブシャロム、わが子よ、わが子よ。」

出典

(サムエル記下 18:24-19:1 [18:24-33]) 『聖書 聖書協会共同訳』より引用

妙機牧師の教え

サムエル記下の物語は、親と子の愛の深さ、そしてその悲しみに満ちた瞬間を描いています。ダビデ王は城壁の門に座り、戦の行方を見守ります。二人の使者が走り寄る姿を見つめる中、最初の使者アヒマアツが平安を告げる言葉を口にしますが、彼の言葉は全てを知らせるものではありません。王は、愛する子アブシャロムの安否を尋ね、何も知らない彼に対して無力感を抱きます。

ダビデ王の心には、アブシャロムに対する深い愛情と、いかなる思いも通じない悲しみが交差します。自らの命を投げ出してでも子を守りたかった王の叫びは、「わが子アブシャロムよ、私がお前に代わって死ねばよかった」という感情として表れます。この言葉は、親の愛がどれほど深く、時には耐え難いものであるかを示しています。

人生には多くの試練がありますが、神は私たちに支えを与え、愛する者との関係を通じて希望を示してくださいます。聖書には「その愛は、正義をもって語られ、誠実をもって恵みをもたらす」とあります。親と子の絆は、生涯の中で私たちが築く最も貴重なものであり、苦しみの中でも希望を見出す力を与えてくれます。

この物語を通して、私たちは親の無条件の愛と、篤い絆の重要性を思い起こします。聖書の中で、数多くの名言が私たちに教えていますが、特にこの物語からは、愛と悲しみの両方が私たちの人生に与える影響を強く感じることができます。この信仰を通して、私たちは互いに理解し支え合うことの大切さを学び続けましょう。

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