交わりの崩壊—神の名を軽んじる者への警告

(マラキ書 1:11-14)

原文

日の出る所から日の沈む所まで、諸国民の間でわが名は大いなるものとされ、至るところでわが名のために香がたかれ、清い供え物が献げられる。わが名は諸国民の間で大いなるものとされているからだ――万軍の主は言われる。

しかしあなたがたは、「主の食卓は汚されており、その食卓の果実は食物として軽んじられている」と言ってわが名を汚している。

あなたがたはまた、「なんと煩わしいことか」と言って、私をないがしろにしている――万軍の主は言われる。あなたがたが、奪って来た動物、足の傷ついた動物、病気の動物などを供え物として引いて来ているのに、私があなたがたの手からそれを受け取るだろうか――主は言われる。

自分の群れの中に欠陥のない雄の動物がいて、それを献げると誓いながら傷のあるものを主に献げ、偽る者は呪われよ。私は大いなる王で、わが名が諸国民の間で畏れられているからである――万軍の主は言われる。

出典

(マラキ書 1:11-14) 『聖書 聖書協会共同訳』より引用

妙機牧師の教え

今日、私たちは神の名前を大いなるものとして讃え、至る所で清い供え物を捧げることが求められています。しかし、私たちの心の中にある侮りや軽んじる態度は、神の名を汚すことにつながります。「主の食卓は汚されている」とする言葉の背後には、神との交わりの崩壊があります。私たちが神に捧げるものが、真実であるか、また心を込めているかは重要な問題です。

神は「なんと煩わしいことか」と、私たちの軽視を見抜いておられます。本当に主に奉献する者は、心からの供え物を持ってこそ意味があり、粗末な物を持ち寄ることは神自身に対する侮辱であります。神の名は、万軍の主として畏れられるべきものです。私たちには欠陥のない献身が求められており、自らを偽ることはできません。傷のある動物を献げる姿は、神に対する信仰をも揺るがすものです。

私たちの献げ物は、単に物理的なものであるだけでなく、心の状態、その献身の真実性が問われています。自らの群れから選んで献げるべきものを、粗末に扱うことは罪を犯す行為です。霊的な義務を果たすことは、神との正しい交わりを楽しむための道でもあります。神の名が諸国民の間で象徴するものを理解し、一人一人が誠意を持って神に近づくことが求められています。私たちの心を正し、神との交わりを回復すること、それが今、私たちに求められているのです。万軍の主は、今この時も私たちに語りかけておられます。

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