イエスの輝き-聖句から学ぶ救いの道
(ヘブライ人への手紙 2:10-18)
というのは、多くの子たちを栄光へと導くために、彼らの救いの導き手を数々の苦しみを通して完全な者とされたのは、万物の存在の目標であり源である方に、ふさわしいことであったからです。
実際、聖とする方も、聖とされる人たちも、すべて一つの源から出ているのです。それゆえ、イエスは彼らをきょうだいと呼ぶことを恥としないで、
「私は、きょうだいたちに
あなたの名を告げ知らせ
集会の中であなたを賛美しよう」と言い、
また、
「私は神に信頼する」と言い、さらにまた、
「見よ、私と
神が私に与えてくださった子たちがいます」と言われます。
そこで、子たちは皆血と肉とを持っているので、イエスもまた同じように、これらのものをお持ちになりました。それは、ご自分の死によって、死の力を持つ者、つまり悪魔を無力にし、
死の恐怖のために一生涯、奴隷となっていた人々を解放されるためでした。
確かに、イエスは天使たちを助けるのではなく、アブラハムの子孫を助けられるのです。
それで、イエスは、神の前で憐れみ深い、忠実な大祭司となって、民の罪を宥めるために、あらゆる点できょうだいたちと同じようにならなければなりませんでした。
事実、ご自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている人たちを助けることがおできになるのです。
(ヘブライ人への手紙 2:10-18) 『聖書 聖書協会共同訳』より引用
イエス・キリストの輝きは、子たちを栄光へと導く力強い道しるべであり、彼の苦しみを通して私たちの救いが実現されたことを思い起こします。聖書は、「聖とする方も、聖とされる人たちも、すべて一つの源から出ている」と教えています。このことから、イエスが私たちのきょうだいと呼ばれることには特別な意味があります。彼は私たちを愛し、私たちに神の名前を告げ知らせ、共に賛美することを恥じないのです。
「見よ、私と神が私に与えてくださった子たちがいます」との言葉には、神の愛と私たちへの大きな恵みが表されています。私たちが血と肉を持つ存在であるように、イエスもまた私たちと同じ姿となり、私たちを救うために死の力を打ち破りました。悪魔の無力化、死への恐怖からの解放は、彼の大いなる功績です。
イエスはアブラハムの子孫を救う道を選び、私たちの兄弟として、私たちを理解し、共感される大祭司となりました。彼自身が苦しみを経験されたからこそ、今、私たちの試練を助ける力を持っておられるのです。このように、イエスの姿を通して、私たちは信仰の力を理解し、日々の試練を乗り越える力をいただくことができます。彼の存在は、私たちにとって希望であり、光であり続けます。私たちの信仰の支えとなる聖句を心に刻み、彼に頼りましょう。