神の怒りと和らぎ:神の御心に従うことの意味
(ローマの信徒への手紙 9:19-29)
そこで、あなたは言うでしょう。「ではなぜ、神はなおも人を責められるのか。神の御心に誰が逆らうことができようか。」
ああ、人よ。神に口答えするとは、あなたは何者か。造られたものが造った者に、「どうして私をこのように造ったのか」と言えるでしょうか。
陶工は、同じ粘土の塊から、一つを貴い器に、一つを卑しい器に作る権限があるのではないか。
神が怒りを示し、ご自分の力を知らせようとしておられたが、滅びることになっていた怒りの器を、大いなる寛容をもって耐え忍ばれたとすれば、どうでしょうか。
それも、栄光を与えようと準備しておられた憐れみの器に対して、ご自分の豊かな栄光を知らせてくださるためであったとすれば、どうでしょうか。
神は、私たちをこのような者として、ユダヤ人からだけでなく、異邦人からも召し出してくださいました。
ホセアの書でも、言われているとおりです。
「私はわが民ではない者をわが民と呼び
愛されなかった女を愛された女と呼ぶ。
『あなたがたはわが民ではない』
と彼らに言われたその場所で
彼らは『生ける神の子ら』と呼ばれる。」
また、イザヤはイスラエルについて、こう叫んでいます。
「たとえイスラエルの子らの数が
海の砂のようであっても
残りの者だけが救われる。
主は、御言葉を完全に、しかも速やかに
地上で成し遂げるからだ。」
また、イザヤがあらかじめ告げていたとおりです。
「もし万軍の主が
私たちに子孫を残されなかったなら
私たちはソドムのようになり
ゴモラと同じようになったであろう。」
(ローマの信徒への手紙 9:19-29) 『聖書 聖書協会共同訳』より引用
私たちが神について問うとき、「なぜ神は人を責め続けるのか」と不安が生じることがあります。しかし、造られた私たちは、創造主に口を挟む権利などありません。陶工が一つの粘土から貴い器と卑しい器を作るように、神にもその権限があります。
神が怒りを示す時、それはご自身の力を知らせるためです。しかし、その怒りの器に対しても、神は助けを差し伸べる大いなる寛容を示されています。神は、私たちに恵みを与えようとお待ちになっているのです。この恵みはユダヤ人だけでなく、異邦人にも及ぶものです。
ホセアに記されたように、神は「わが民ではない者をわが民と呼び、愛されなかった者を愛された者と呼ぶ」と宣言されます。その恵みは、私たちにとってどれほど大きな祝福であることでしょう。イザヤも、「たとえイスラエルの子らが海の砂のように多くても、残りの者だけが救われる」と述べています。このように、神は私たちに与えられた御言葉をしっかりと実行されるのです。
さらに、万軍の主が私たちに子孫を残されなかったなら、私たちは滅びの運命にあったことでしょう。しかし、神の憐れみがあってこそ、私たちは新たに命を与えられ、生ける神の子らとして呼ばれるのです。このように、私たちは神の深い愛と計画に心を開き、日々の歩みの中でその恵みを受け取ることが求められています。だからこそ、私たちは与えられた機会を無駄にせず、神の御心に従って生きることが大切なのです。