主を求めて生きる力-アモス書から学ぶ真実
(アモス書 5:4-8)
主はイスラエルの家にこう言われる。
私を求めよ、そして生きよ。
しかし、ベテルを求めるな
ギルガルに行くな
ベエル・シェバに赴くな。
ギルガルは必ず捕囚として連れ去られ
ベテルは無に帰するから。
主を求めよ、そして生きよ。
さもないと主は火のように
ヨセフの家に襲いかかり
火がなめ尽くしても
ベテルのために消す者はない。
公正を苦よもぎに変え
正義を地に投げ捨てる者よ。
プレアデスとオリオンを造り
深い闇を朝に変え
昼を暗い夜にし
海の水を呼び集めて地の面に注がれる方。
その名は主。
(アモス書 5:4-8) 『聖書 聖書協会共同訳』より引用
主はイスラエルの家にこうお告げになります。「私を求めよ、そして生きよ。」この言葉は、ただの命令ではなく、命に溢れた呼びかけです。私たちが真に生きるためには、主を求め続けることが不可欠です。しかし、同時に、ベテルを求めず、ギルガルやベエル・シェバに赴いてはなりません。自らの信仰を承認する場所に頼って身を委ねることは、真の救いを見失う原因となります。
なぜなら、ギルガルは必ず捕囚として連れ去られ、ベテルは無に帰すからです。主を求める者には、生きる力が与えられますが、そうでない者には火が襲いかかります。これは私たちの心に響く警告です。火がなめ尽くしても、ベテルのために消す者は存在しないのです。私たちは、神を無視し、正義を地に投げ捨てるような者となってはならないのです。
主は深い闇を朝に変え、日を暗い夜にする力を持っています。プレアデスやオリオンを造られた方、それが私たちの主です。もし私たちが公正と正義を大切にし、主を求め続けるなら、主は私たちに新しい光を与え、支え続けて下さいます。私たちが本当に求めるべきは、物質的なものや名声ではなく、主そのものであることを忘れてはなりません。聖句の響きを常に心に留め、主に向かう歩みを続けましょう。