神の選びと心の目-サムエル記上から学ぶ聖句と名言

(サムエル記上 16:5-13)

原文

サムエルは言った。「平和なことです。主にいけにえを献げるために来ました。身を清めて、私と一緒にいけにえの儀式に出てください。」こうして、サムエルはエッサイとその息子たちを清め、いけにえを献げるために彼らを招いた。

彼らがやって来ると、サムエルはエリアブに目を留め、彼こそ主の前に油を注がれる者だと思った。

しかし、主はサムエルに言った。「容姿や背丈に捕らわれてはならない。私は彼を退ける。私は人が見るようには見ないからだ。人は目に映るところを見るが、私は心を見る。」

エッサイはアビナダブを呼び、サムエルの前を通らせた。サムエルは言った。「この者も主はお選びにならない。」

エッサイは次にシャンマを通らせたが、サムエルは言った。「この者も主はお選びにならない。」

エッサイは七人の息子をサムエルの前に通してみたが、サムエルはエッサイに言った。「主はこれらのうち、誰をもお選びにならない。」

サムエルはエッサイに言った。「あなたの息子はこれだけですか。」エッサイは言った。「末の子がまだ残っていますが、羊の群れの番をしています。」サムエルはエッサイに言った。「人をやって、彼を連れて来てください。彼が来るまでは、私たちは食卓に着きません。」

エッサイは人をやって、彼を連れて来させた。彼は血色が良く、目は美しく、姿も立派であった。主は言われた。「立って彼に油を注ぎなさい。彼がその人である。」

サムエルは油の入った角を取り、兄弟たちの真ん中で彼に油を注いだ。この日以来、主の霊が激しくダビデに降るようになった。サムエルは立ってラマに帰った。

出典

(サムエル記上 16:5-13) 『聖書 聖書協会共同訳』より引用

妙機牧師の教え

神は私たちを選び、導いてくださる方です。サムエル記上の中でサムエルは、エッサイの息子たちを前にして、主の選びの深さを理解しました。容姿や背丈に目を奪われず、神が見ておられるのは私たちの心であると教えられます。人々は目に映る外見で判断しがちですが、神は私たちの内面を見つめています。

エッサイが七人の息子をサムエルの前に立たせるも、主は誰一人として選ばれませんでした。驚くべきことに、末の子ダビデが羊の群れの番をしていた時、主は彼を選んだのです。この出来事は、神が私たちの考えや期待を超えたところで働いておられることを示しています。

「人は目に映るところを見るが、私は心を見る」との主の言葉は、私たちが自己過信や外面的な成功によって他者を評価することへの警告でもあります。どんなに世間からの評価が低くても、神の目には価値があるのです。ダビデの選びから学べるように、私たちも自分自身や他者に対する見方を新たにし、心の状態を大切にする必要があります。

最終的にサムエルは、神に選ばれた者に油を注ぎ、その日からダビデに主の霊が降り注いだのです。私たちもまた、神の選びを信じ、心の清さを追い求める者として歩み続けましょう。この選びが私たちをどのように変え、用いてくださるかを期待しつつ、主に従い続けることが大切です。

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