主の器-神に信頼する生き方の聖句

(エレミヤ書 17:5-13)

原文

主はこう言われる。

呪われよ、人間を頼みとし

肉なる者を自分の腕として

その心が主から離れる人は。

彼は荒れ地のねずの木のようになり

幸いが来ても見ず

荒れ野の乾いた地

人の住まない塩の地に住む。

祝福されよ、主に信頼する人は。

主がその人のよりどころとなられる。

彼は水のほとりに植えられた木のようになり

川の流れにその根を張り

暑さが来ても恐れず

その葉は茂っている。

旱魃の年も恐れず

絶えず実を結ぶ。

心は何にも増して偽り、治ることもない。

誰がこれを知りえようか。

主である私が心を探り

思いを調べる。

おのおのが歩んだ道

その業が結んだ実に応じて報いるためである。

しゃこが自分の産まなかった卵を抱くように

不正に富をなす者がいる。

しかしその生涯の半ばで、彼は富を失い

ついには、愚か者となる。

我々の聖所の場所は

初めから高い所、栄光の座である。

イスラエルの望みである主よ

あなたを捨てる者は皆、恥じ入り

あなたから離れる者は地の中にその名が記される。

命の水の泉である主を捨てたからだ。

出典

(エレミヤ書 17:5-13) 『聖書 聖書協会共同訳』より引用

妙機牧師の教え

主はこう言われる。「呪われよ、人間を頼みとし、肉なる者を自分の腕として、その心が主から離れる人は。」この言葉は、私たちがどのように信頼するべきかを示しています。心を主から離して生きる者は、荒れ地のねずの木のようになり、幸いを見ずに過ごす運命にあります。

一方で、「祝福されよ、主に信頼する人は。」との言葉があるように、主に信頼することで私たちは水のほとりに植えられた木のようになり、常に実を結ぶことができるのです。その根を川に張り、暑さや旱魃を恐れず、絶えず繁り続ける姿は、主の祝福を受けた確かな証しです。

私たちの心は何にも増して偽りやすく、自らを知ることは困難です。しかし、「主である私が心を探り、思いを調べる」という言葉の通り、主が私たちの内面を見つめ、正しい道に導いて下さいます。

「しゃこが自分の産まなかった卵を抱くように、不正に富をなす者」に同じ道を歩む者には、彼の富は最終的に失われ、愚か者となる運命が待ち受けています。私たちの聖所は高く、栄光の座に位置しています。イスラエルの望みである主を捨てる者は恥じ入り、地の中に名前が記されることになります。「命の水の泉である主を捨てたからだ」という警告は、私たちに真の豊かさが何であるかを思い出させるものです。

主に信頼する毎日を送り、聖句が教えるように実を結ぶ生き方を目指しましょう。それによって私たちは、祝福の器として主に用いられるのです。

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