神が背負う老いの冠:イザヤ書に見る恵みの約束
(イザヤ書 46:1-4)
ベルは身をかがめ、ネボは身を伏せる。
彼らの偶像は獣と家畜に背負われる。
あなたがたの運ぶものは荷物となり
疲れた動物の重荷となる。
彼らは共に身を伏せ、身をかがめ
重荷を解くこともできない。
彼ら自身が捕らわれの身となって行く。
聞け、ヤコブの家よ
またイスラエルの家のすべての残りの者よ
母の胎を出た時から私に担われている者たちよ
腹を出た時から私に運ばれている者たちよ。
あなたがたが年老いるまで、私は神。
あなたがたが白髪になるまで、私は背負う。
私が造った。私が担おう。
私が背負って、救い出そう。
(イザヤ書 46:1-4) 『聖書 聖書協会共同訳』より引用
神は私たちの人生のすべての段階で共にいてくださる。古代の預言者イザヤは、神の愛と保護を美しく表現している。「聞け、ヤコブの家よ」と語りかける神は、母の胎から私たちを担い、成長を見守ってくださる。
若いころは敢然とした姿勢で生き、力強さを誇示することもある。しかし、年齢を重ねるごとに、心や体は次第に弱まる。もちろん、老いることに対する恐れや不安も伴う。しかし、神は私たちを背負い続けると約束してくださる。「あなたがたが年老いるまで、私は神」との言葉が、私たちに安心感を与える。神は私たちの弱さを理解し、決して見捨てることはない。
聖句に記されているように、偶像に頼ることは不毛であり、疲れた動物のように重荷を背負うことになる。しかし、私たちの本当の支えは神のもとにある。「私が造った。私が担おう」と神が語りかけているこの言葉は、深い希望と慰めをもたらす。私たちの老いや苦難は一時的なものであり、神はそれを越えて救い出してくださるのだ。
この思いを心に留め、日々を生きていこう。老いを冠とし、神の恵みの中で歩むことができれば、私たちは真の安らぎを見出すことができる。神の約束を信じ、共に歩むことこそが、私たちに与えられた使命であり、その道は神の守りの中にあることを忘れないようにしたい。