永遠の思い-聖書の言葉と神の霊の理解
(コリントの信徒への手紙一 2:11-16)
人の内にある霊以外に、一体誰が人のことを知るでしょう。同じように、神の霊以外に神のことを知る者はいません。
私たちは世の霊ではなく、神の霊を受けました。それで私たちは、神から恵みとして与えられたものを知るようになったのです。
この賜物について語るにも、私たちは、人の知恵が教える言葉ではなく、霊が教える言葉を用います。つまり、霊によって霊のことを説明するのです。
自然の人は神の霊に属する事柄を受け入れません。その人にとって、それは愚かなことであり、理解できないのです。霊に属する事柄は、霊によって初めて判断できるからです。
霊の人は一切を判断しますが、その人自身は誰からも判断されたりしません。
「誰が主の思いを知り
主に助言するというのか。」しかし、私たちは、キリストの思いを抱いています。
(コリントの信徒への手紙一 2:11-16) 『聖書 聖書協会共同訳』より引用
人の内に宿る霊によってのみ、人は自身を理解し、他者の心にも触れます。同様に、神の霊によって初めて神の思いを悟ることができるのです。このように、私たちは世の霊を受けていません。むしろ、神の霊を受け取ることで、神が与えてくださる恵みを理解できるようにされました。私たちの内にある神の霊は、神との深い結びつきをもたらし、真理を教え導いてくれます。
この重要な賜物を語る際に、私たちは人の知恵からではなく、聖なる霊が教える言葉を用いなければなりません。霊によって理解する事柄は、私たちの心を清め、真の価値を見出す助けとなります。しかし、世の霊に属する人々は、霊の性質を理解することができず、そのために神の事柄を愚に感じてしまうのです。
私たちが信仰を持ち、霊に生きる者となるとき、霊の人とされるのです。霊の人は、すべてのことを判断する力を持つ一方で、自らを判断されることはありません。なぜなら、「誰が主の思いを知り、主に助言する」という問いに対して、私たちはキリストの思いを抱くことができるからです。この思いこそが、私たちを支え、導く力となります。
神の霊に従い、永遠の思いを抱くことは、私たちの生活に深い意味を与え、他者との関係にも豊かな恵みをもたらします。私たちが神の霊によって生きるとき、真実の知恵と理解が与えられ、日々の選択において正しい道を歩むことができるのです。神の言葉が私たちの心を満たし、私たちを一つに結びつけることを願ってやみません。