とりなしの祈り—モーセの姿勢に学ぶ信仰の力
(民数記 14:1-19)
全会衆は声を上げて叫び、民はその夜、泣き通した。
イスラエルの人々は皆、モーセとアロンに向かって不平を言い、全会衆が彼らに言った。「私たちはエジプトの地で死んでいたらよかったのに。この荒れ野で死んでいたらよかったのに。
どうして、主は私たちをこの地に連れて来て、剣に倒れさせようとするのだろうか。私たちの妻も幼子も奪われてしまうだろう。エジプトに帰ったほうがましではないか。」
そして互いに「さあ、頭を立てて、エジプトへ帰ろう」と言い合った。
モーセとアロンはイスラエル人の全会衆の前でひれ伏した。
土地を偵察した者のうち、ヌンの子ヨシュアとエフネの子カレブは衣を引き裂き、
イスラエル人の全会衆に言った。「私たちが偵察のために行き巡った地は、実に良い地でした。
もし、私たちが主の御心に適うなら、主は私たちをあの地に導き入れ、あの乳と蜜の流れる地を私たちに与えてくださるでしょう。
ただ、主に逆らってはなりません。その地の民を恐れてもなりません。彼らは私たちの餌食にすぎないのですから。彼らを守るものは彼らから離れ去り、私たちには主が共におられます。彼らを恐れてはなりません。」
全会衆が彼らを石で打ち殺そうと言ったとき、会見の幕屋で、主の栄光がイスラエルの人々すべてに現れた。
主はモーセに言われた。「この民はいつまで私を侮るのか。私が彼らのうちに行ったすべてのしるしにもかかわらず、いつまで私を信じないのか。
私は疫病で彼らを打ち、彼らを捨てて、あなたを彼らよりも大いなる強い国民としよう。」
モーセは主に言った。「エジプト人は、あなたがその力によって、彼らのただ中からこの民を導き上られたことを聞いて、
この地の住民に伝えるでしょう。主よ、あなたがこの民のただ中におられ、主よ、あなたが顔と顔を合わせるように現れること、また、あなたの雲が民の上にとどまり、あなたが、昼は雲の柱、夜は火の柱の内にあって、民の前を歩まれることを、彼らは聞いているのです。
もし、あなたがこの民を一人残らず滅ぼされるなら、あなたのことを聞いた諸国民は言うでしょう。
主は、与えると誓った地にこの民を連れて行くことができないので、彼らを荒れ野で殺したのだ、と。
どうか、わが主の大いなる力を現してください。かつてあなたは告げられました。
『主は怒るに遅く、慈しみに富み、過ちと背きを赦す者。しかし、罰せずにおくことは決してなく、父の罪を子に、さらに、三代、四代までも問う者である。』
どうか、あなたの大いなる慈しみのゆえに、また、エジプトからここに至るまでこの民を赦してこられたように、この民の罪を赦してください。」
(民数記 14:1-19) 『聖書 聖書協会共同訳』より引用
イスラエルの人々が苦しみに喘ぎ、全ての会衆がモーセとアロンに向かって不平を口にした。その夜、彼らは泣き通し、エジプトに戻りたいと願った。不安と恐れの中で、彼らは主の導きに対して不満を抱き、自由と希望を忘れてしまった。その姿は、私たちにも非常に身近なものだ。
しかし、この苦境にあっても、ヌンの子ヨシュアとエフネの子カレブは、神の約束を信じて勇気を奮い立たせた。「私たちが主の御心に適うなら、主は私たちをあの地に導き入れてくださる」と彼らは言った。彼らの言葉は、信仰の名言そのものである。私たちが神に従い、信じるなら、主は私たちを導いてくださると。
さらに、モーセはその民のためにとりなしの祈りを捧げた。「主よ、どうかこの民をお赦しください。」彼の言葉は、神の慈しみに対する信頼を表している。モーセは、主がどれほどの力を持ち、どうしてこの民を見捨てることができないかを理解していた。彼のとりなしは、単なるお願いではなく、信仰に基づく宣言であった。
私たちも、日常の生活の中で試練に直面する際、モーセのように神に祈り、他者のためにとりなすことが求められている。たとえどんな状況にあっても、主の慈しみと力を信じ、私たちが求める道を照らし出してくださることを信じよう。主は今も、私たちの叫びに耳を傾け、私たちを導いてくださる。