失われた者の救い-自己を捨てることの真意
(マルコによる福音書 8:33-38)
イエスは振り返って、弟子たちを見ながら、ペトロを叱って言われた。「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人のことを思っている。」
それから、群衆を弟子たちと共に呼び寄せて言われた。「私の後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を負って、私に従いなさい。
自分の命を救おうと思う者は、それを失うが、私のため、また福音のために自分の命を失う者は、それを救うのである。
人が全世界を手に入れても、自分の命を損なうなら、何の得があろうか。
人はどんな代価を払って、その命を買い戻すことができようか。
神に背いた罪深いこの時代に、私と私の言葉を恥じる者は、人の子もまた、父の栄光に輝いて聖なる天使たちと共に来るときに、その者を恥じるであろう。」
(マルコによる福音書 8:33-38) 『聖書 聖書協会共同訳』より引用
イエスは私たちに、「私の後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を負って、私に従いなさい」と教えました。この言葉は、私たちが自己中心的な考えを捨て、神の使命に従うことの重要性を示しています。自己を捨てるとは、他者や神のために自分の欲望や利益を後回しにすることです。イエスは続けて、「自分の命を救おうと思う者は、それを失う」と警告されました。この教えは、私たちが真の命を得るためには、一時的な幸福や利益を諦める必要があることを意味します。
この世で名誉や富を追い求めることが価値のあることと考えられがちですが、イエスは「人が全世界を手に入れても、自分の命を損なうなら、何の得があろうか」と問いかけます。私たちの命は何ものにも代えがたいものであり、その命を守るために何が必要なのかを常に考えなければなりません。
時には、神に背いてしまう誘惑があるかもしれませんが、例え私たちがそのような道に進んでも、神の恵みは常に私たちを待っています。そして、もし私たちが神の言葉を恥じることなく生きるなら、神は私たちに栄光を与えてくださるでしょう。この真実が、私たちの信仰を強め、日々の生活を励ます道しるべとなるのです。イエスの言葉を心に刻み、彼に従うことの喜びを分かち合いましょう。