神の形をとったイエスと私たちの従順
(フィリピの信徒への手紙 2:6-13)
キリストは
神の形でありながら
神と等しくあることに固執しようとは思わず
かえって自分を無にして
僕の形をとり
人間と同じ者になられました。
人間の姿で現れ
へりくだって、死に至るまで
それも十字架の死に至るまで
従順でした。
このため、神はキリストを高く上げ
あらゆる名にまさる名を
お与えになりました。
それは、イエスの御名によって
天上のもの、地上のもの、地下のものすべてが
膝をかがめ
すべての舌が
「イエス・キリストは主である」と告白して
父なる神が崇められるためです。
だから、私の愛する人たち、いつも従順であったように、私がいたときだけでなく、いない今はなおさら、恐れおののきつつ自分の救いを達成するように努めなさい。
あなたがたの内に働いて、御心のままに望ませ、行わせておられるのは神であるからです。
(フィリピの信徒への手紙 2:6-13) 『聖書 聖書協会共同訳』より引用
私たちの救い主であるイエス・キリストは、神の形でありながら、自らの崇高な地位に固執することはありませんでした。むしろ、彼は自分を無にし、僕の形をとって人間の姿を持たれました。この姿勢は、へりくだり、私たちを愛するがゆえのものでした。彼は死に至るまで、特に十字架の死に至るまで従順でした。このため、神は彼を高く上げ、あらゆる名にまさる名を与えました。イエスの御名によって、すべてのものが膝をかがめ、「イエス・キリストは主である」と告白し、父なる神を崇めるのです。この壮大なストーリーは、私たちにとっても大きな教訓となります。愛する人々よ、私たちはいつもイエスの従順な姿勢を見習うべきです。彼がいた時だけでなく、今もまた私たちの信仰を深め、恐れおののきつつ自分の救いを達成する努力を続けなければなりません。なぜなら、私たちの内に働いているのは神であり、彼の御心のままに望ませ、行わせてくださるからです。聖書の言葉は、神への従順がいかに私たちを強め、導いてくれるかを教えてくれます。この従順こそが、真の信仰の証であり、私たちと神との関係を深める源となるのです。私たちはこの教えを胸に、日々の生活において神に従い、彼の御心を行うことを志し続けましょう。