子どもになれ、天の国へ
(マタイによる福音書 18:1-5)
その時、弟子たちがイエスのところに来て、「天の国では、一体誰がいちばん偉いのでしょうか」と言った。
そこで、イエスは一人の子どもを呼び寄せ、彼らの真ん中に立たせて、
言われた。「よく言っておく。心を入れ替えて子どものようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。
だから、この子どものように、自分を低くする者が、天の国でいちばん偉いのだ。
また、私の名のためにこのような子どもの一人を受け入れる者は、私を受け入れるのである。」
(マタイによる福音書 18:1-5) 『聖書 聖書協会共同訳』より引用
洗礼は信者にとって非常に重要な儀式であり、イエス・キリストの教えを実践する第一歩です。マタイによる福音書18章では、弟子たちが「天の国では、一体誰がいちばん偉いのでしょうか」と尋ねます。この問いに対し、イエスは一人の子どもを呼び寄せ、心を入れ替え、子どものようにならなければ天の国に入れないと教えます。
この教えは、洗礼を通じて信者が持つべき「謙遜さ」の重要性を示しています。子どものような素直さや純真さは、神との関係を築く上で欠かせないものです。洗礼は、古い自分を脱ぎ捨て、新しい命に生まれる契機であり、神に対する絶対の信頼を意味します。
さらに、イエスは「私の名のためにこのような子どもの一人を受け入れる者は、私を受け入れる」と述べています。この言葉は、私たちが他者、特に弱い者や小さい者に対してどのような心を持つべきかを考えさせます。洗礼は、神への従順だけでなく、無条件の愛をもって他者に接する姿勢をも促します。
洗礼を受けることは、自らを神の子どもとして受け入れ、共同体の一員となる大切な一歩です。そして、私たちが日々の生活の中で子どもたちのように低く、謙虚な心を持って生きることで、天の国の偉大さを体験することができます。おそらく、私たちが心を入れ替え、子どものように生きるときこそ、神が最も喜ばれる姿となるのではないでしょうか。