イエスの弟子となる洗礼の意味
(ヨハネによる福音書 1:35-39)
その翌日、また、ヨハネは二人の弟子と共に立っていた。
イエスが歩いておられるのに目を留めて言った。「見よ、神の小羊だ。」
二人の弟子はそれを聞いて、イエスに従った。
イエスは振り返り、二人が従って来るのを見て、「何を求めているのか」と言われた。彼らが、「ラビ――『先生』という意味――どこに泊まっておられるのですか」と言うと、
イエスは、「来なさい。そうすれば分かる」と言われた。そこで、彼らは付いて行って、どこにイエスが泊まっておられるかを見た。そしてその日は、イエスのもとに泊まった。午後四時ごろのことである。
(ヨハネによる福音書 1:35-39) 『聖書 聖書協会共同訳』より引用
洗礼とは、信仰の表れであり、私たちが神との関係を結ぶ重要な儀式です。ヨハネによる福音書1章35節から39節に記されている出来事では、洗礼を受ける者たちのその後の行動が示されています。ヨハネは、二人の弟子に向かって「見よ、神の小羊だ」と言い、彼らはイエスに従うことを決意しました。この瞬間、彼らの人生は大きく変わります。
イエスから「何を求めているのか」という問いに対し、彼らは「ラビ、どこに泊まっておられるのですか」と尋ねます。この質問は、信仰を深めたいという渇望を表しています。イエスは「来なさい。そうすれば分かる」と応答され、彼らはイエスのところへ行きました。この一連の流れを通じて、洗礼は単なる儀式ではなく、イエスとの関係を深めるための第一歩であることが分かります。
洗礼を受けるということは、私たちがイエス・キリストを主として受け入れ、彼に従う決意を示すものです。私たちもこの弟子たちのように、神との関係を求める姿勢を持ち、イエスの教えを実践していくことが求められています。洗礼を通じて、私たちは新しい命に生まれ変わり、信仰の共同体に加わります。そして、日々の生活の中で神の導きを求め、信仰の成長を目指していくのです。洗礼は、私たち一人ひとりがイエス・キリストに従う者としてのスタートラインなのです。