神の前に立つ個人-ヨブの苦悩と信仰
(ヨブ記 3:1-16)
この後、ヨブは口を開いて、自分の生まれた日を呪った。
ヨブは言った。
私の生まれた日は消えうせよ。
男の子を身ごもったと告げられた夜も。
その日は闇となれ。
高みにおられる神が顧みず
光もその日を照らすな。
その日は闇と死の陰に贖われ
雲に覆われ
日を暗くするものに脅かされよ。
その夜は暗闇に捕らえられ
年の日々を楽しまず
月々の数に加えられるな。
その夜は不妊となり
喜びの声も上がるな。
日を呪う者
レビヤタンを呼び起こすことのできる者が
これを呪え。
夕べの星も暗くなれ。
その夜は、待ち望んでも光は射さず
夜明けのまばたきも見えないように。
それが私を宿した胎の戸を閉ざさず
私の目から労苦を隠さなかったからだ。
なぜ、私は胎の中で死ななかったのか。
腹から出て、息絶えなかったのか。
どうして、両膝が私を受け止めたのか。
なぜ、私に吸わせる乳房があったのか。
それさえなければ、今頃、私は横たわって憩い
眠って休息を得ていたであろうに。
自分たちのために廃虚を築き直した
地の王や参議と共に
あるいは、金を集め、その館を銀で満たした
高官たちと共にいたことだろう。
なぜ、私は葬り去られた死産の子
光を見ない子のようにならなかったのか。
(ヨブ記 3:1-16) 『聖書 聖書協会共同訳』より引用
ヨブ記の中で、ヨブは自身の苦悩を訴える姿が描かれています。「私の生まれた日は消えうせよ」という叫びは、彼の痛切な思いを表しています。神が高みにおられる中で、地上での苦しみを抱える者としての孤独感は、私たちにとっても共感できることでしょう。彼の言葉は、人生の苦悩や悲しみとどう向き合うかを考えさせられます。
神は私たちの苦しみに寄り添い、その涙を見守っています。ヨブが「なぜ、私は胎の中で死ななかったのか」と問いかけたように、私たちも時には自らの存在に疑問を抱くことがあります。しかし、聖書の中には「すべてのことが益となる」という希望の言葉もあります。ヨブは、暗闇の中で神を見出すことができる力を信じ続けました。
聖句には、「私が天にあっても、あなたが私を導き、右の手をもって私を抱いてくださる」との言葉が記されています。私たちがどんなに深い悲しみの中にあっても、神は常に私たちと共にいてくださるのです。ヨブの故事は、苦しみに直面した際に、我々が信仰をもって神を見上げることの重要性を教えてくれています。
ヨブは「死産の子のようにならなかった」という言葉の中に、神の計画があることを感じ取ります。私たちの人生においても、困難を経ながら神の恵みを知る機会が与えられているのです。ヨブの信仰に触れることで、私たちも苦しみを通して成長し、神との関係を深めることができるのです。信仰の中で、私たちの人生にも、その聖なる意味を見出すことができます。