愛と赦しの教え:主人と僕の物語から学ぶ聖句

(フィレモンへの手紙 :8-20)

原文

それで、私は、あなたのなすべきことを、キリストにあって極めて率直に命じてもよいのですが、

むしろ、愛のゆえにお願いします。年老いて、今はまたキリスト・イエスの囚人となっている、この私パウロが、

獄中で生んだ私の子オネシモのことで、あなたに頼みがあるのです。

彼は、かつてはあなたにとって役に立たない者でしたが、今は、あなたにも私にも役立つ者となっています。

そのオネシモをあなたのもとに送り返します。彼は私の心そのものです。

本当は、彼を私のもとにとどめて、福音のゆえに獄中にいる間、あなたにではなく私に仕えてもらいたいと思ったのですが、

あなたの承諾なしには何もしたくありません。あなたの善い行いが強制されたものではなく、自発的なものであってほしいと願うからです。

彼がしばらくの間あなたから離れていたのは、恐らく、あなたが彼を永久に取り戻すためであったのでしょう。

もはや奴隷としてではなく、奴隷以上の者、愛する兄弟としてです。オネシモは、とりわけ私にとってそうですが、あなたにとってはなおさらのこと、一人の人間としても、主を信じる者としても、愛する兄弟であるはずです。

ですから、あなたが私を仲間と見なしてくれるなら、オネシモを私と思って迎え入れてください。

また、彼があなたに何か損害を与えたり、負債を負ったりしていたら、それは私の借りにしておいてください。

私パウロが自分の手でこう記します。私が返済します。あなたが自分を、私に負うていることは、言わないでおきましょう。

そうです。兄弟よ、私は主にあって、あなたから喜びを得たいのです。キリストにあって、私の心を元気づけてください。

出典

(フィレモンへの手紙 :8-20) 『聖書 聖書協会共同訳』より引用

妙機牧師の教え

私たちの信仰生活において、愛と赦しは最も重要な要素です。「フィレモンへの手紙」の中でパウロは、オネシモという僕を主人フィレモンに返す際、愛のゆえにお願いしています。オネシモはかつては役に立たない者とされていましたが、キリストに出会い変えられ、今は愛する兄弟として迎え入れる価値のある者になったのです。ここに示されるのは、ただの奴隷ではなく、キリストにあって新たな関係性を築くことの大切さです。

私たちは、他者を一人の人間として尊重し、愛する兄弟姉妹として接することが求められています。パウロは善い行いが自発的なものであるべきだと述べ、私たちも他者に対して同じように接することが大切であると気づかされます。愛は強制されるものではなく、心からの想いから生まれるものです。

さらに、パウロはフィレモンに対し、オネシモが過去に負った損害や負債を自分が負うと約束しました。この姿勢は、私たちも互いにどのように赦し合い、助け合うかを教えてくれます。私たちが他者のために喜びを求め、共に成長することが、キリストにあっての真の豊さなのです。

この聖句は、私たちに人を迎え入れる心を持ち、愛を示すことの重要性を教えています。愛すること、赦すことによって、私たちは互いに励まし合い、主にあっての喜びを見出すことができるのです。オネシモとフィレモンの物語は、私たちが人との関係をどのように持つべきかを考えさせてくれる大切な教訓となります。

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