主にあって一つとなる:コリントへの手紙から学ぶ信仰の重要性
(コリントの信徒への手紙一 1:10-15)
さて、きょうだいたち、私たちの主イエス・キリストの名によってあなたがたにお願いします。どうか、皆、勝手なことを言わず、仲たがいせず、心を一つにし思いを一つにして、固く結び合いなさい。
私のきょうだいたち、実は、あなたがたのことをクロエの家の者たちから知らされました。あなたがたの間に争いがあり、
あなたがたはめいめい、「私はパウロに付く」「私はアポロに」「私はケファに」「私はキリストに」などと言い合っているとのことです。
キリストは幾つにも分けられてしまったのですか。あなたがたのために十字架につけられたのはパウロでしょうか。あなたがたが洗礼(バプテスマ)を受けたのはパウロの名によるのでしょうか。
クリスポとガイオのほか、あなたがたの誰にも洗礼(バプテスマ)を授けなかったことを、私は神に感謝しています。
ですから、私の名によって洗礼(バプテスマ)を受けたなどと、誰も言えないはずです。
(コリントの信徒への手紙一 1:10-15) 『聖書 聖書協会共同訳』より引用
私たちの信仰の源である主イエス・キリストの名によって、兄弟姉妹たちにお願いしたい。どうか、皆さん、心をひとつにし、思いを一つにして、仲たがいを避け、勝手な言葉を控え、互いに手を取り合って生きてほしい。
コリントの教会には、争いや分裂が広がっていました。「私はパウロに、私はアポロに」といった見解の違いがあったのです。しかし、キリストは一人です。私たちのために十字架にかかるために来てくださったのは、この分裂のためではなく、私たちを一つに結び合わせるためです。
思い起こしてほしい。私たちが受けた洗礼は誰の名によるものかを。パウロの名ではなく、キリストの名によるものです。このことを忘れず、互いに敬い合い、愛し合いながら、共同体としての信仰を深めていこうではありませんか。聖書にも、「互いに思いやりを持ちなさい」と教えられています。
分裂ではなく、結束。自己主張ではなく、共感をもって生きることが神の御心です。今こそ、私たちの信仰を一つにし、協力し合うことで、より豊かな霊的な人生を送る時です。兄弟姉妹のゆえに、主にしっかりと結びつき、愛に生かされる生活を心がけましょう。