神のさばきと信仰の選びについて-マタイ20:20-23

(マタイによる福音書 20:20-23)

原文

その時、ゼベダイの息子たちの母が、息子たちと一緒にイエスのところに来て、ひれ伏し、願い事をした。

イエスが、「何をしてほしいのか」と言われると、彼女は言った。「私の二人の息子が、あなたの御国で、一人はあなたの右に、一人は左に座れるとおっしゃってください。」

イエスはお答えになった。「あなたがたは、自分が何を願っているか、分かっていない。私が飲もうとしている杯を飲むことができるか。」彼らが、「できます」と言うと、

イエスは言われた。「確かに、あなたがたは私の杯を飲むことになる。しかし、私の右と左に座ることは、私の決めることではない。それは、私の父によって定められた人々に許されるのだ。」

出典

(マタイによる福音書 20:20-23) 『聖書 聖書協会共同訳』より引用

妙機牧師の教え

神のさばきについて深く考えましょう。ゼベダイの息子たちの母は、イエスに近づき、息子たちが神の御国で特別な地位を得るよう願いました。このエピソードは、私たちが神の前でどのように自分を位置づけるべきか、また、神の計画をどう受け入れるべきかを示しています。

イエスは、彼らの願いに対して「自分が何を願っているか、分かっていない」と返答しました。私たちも時に、自分の願望が神の御心に沿っているのかどうかを問い直さなければなりません。信仰の道は、思い描く成功や地位だけでなく、謙遜と犠牲を伴うものです。

イエスが言う「私の杯を飲むことができるか」という問いは、信仰の深さと覚悟を問うものであり、私たちにとっても重要な問いです。彼らが「できます」と答えた時、それは試練と苦しみをも含む信仰の宣言でした。私たちも自分の信仰を見つめ直し、神のためにどのような犠牲を払えるかを考えることが求められます。

最終的に、イエスは「私の右と左に座ることは、父によって定められた人々に許される」と言いました。これは、私たちがどれほど努力しても、神の思し召しが最も重要であることを思い起こさせます。私たちの人生は、神の計画の中でどのように生きるのかにかかっています。聖句を通して、神のさばきが私たちにどのように注がれるかを考え、信仰の道を歩んでいきましょう。

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