主の愛にとどまる-神の約束と祝宴
(イザヤ書 25:6-8)
万軍の主はこの山で
すべての民のために祝宴を催される。
それは脂の乗った肉の祝宴
熟成したぶどう酒の祝宴。
髄の多い脂身と
よく濾されて熟成したぶどう酒。
主はこの山で
すべての民の顔を覆うベールと
すべての国民にかぶせられている覆いを破り
死を永遠に吞み込んでくださる。
主なる神はすべての顔から涙を拭い
その民の恥をすべての地から消し去ってくださる。
確かに、主は語られた。
(イザヤ書 25:6-8) 『聖書 聖書協会共同訳』より引用
万軍の主がこの山で祝宴を催されるとき、私たちの心には希望と喜びが満ち溢れます。すべての民のために用意されたこの祝宴は、脂の乗った肉と熟成したぶどう酒で満たされ、私たちを豊かに満たしてくださいます。主の愛の祝宴は、私たちが渇きと空しさを感じるときにこそ、最も必要なものであり、神は私たちのためにその恵みを惜しみなく注いでくださるのです。
主は私たちに降りかかる困難や悲しみを知っています。この山で、すべての民の顔にかかるベール、すべての国民に覆いを破り、死を永遠に吞み込んでくださいます。まさに、イザヤ書25章の言葉が示す通り、主の神は私たちの涙を拭い、その恥を消し去ってくださるのです。神は私たちを愛し、私たちの暗い時期を照らす光であり、癒しの源です。
この素晴らしい約束を信じることは、私たちの信仰の核です。「主は語られた」とは、私たちに対する主の確かな約束の証です。この言葉を心に刻み、主の愛にとどまり、まるで祝宴に招かれた者のようにその恵みを味わいましょう。主が私たちの出発点と終着点である時、私たちは確かな未来に向かって歩むことができるのです。
祝宴は近く、主の愛は揺るがないものであることを信じ、前を向いて歩んで行きましょう。忘れないでください、私たちの神は常に私たちの側にいてくださるのです。