主の日が訪れるとき-聖書の言葉とその意味
(テサロニケの信徒への手紙一 5:1-3)
きょうだいたち、その時と時期がいつなのかは、あなたがたに書く必要はありません。
主の日は、盗人が夜来るように来るということを、あなたがた自身よく知っているからです。
人々が「平和だ。安全だ」と言っているときに、ちょうど妊婦に産みの苦しみが訪れるように、突如として滅びが襲って来るのです。決して逃れることはできません。
(テサロニケの信徒への手紙一 5:1-3) 『聖書 聖書協会共同訳』より引用
兄弟たちよ、主の日がいつ訪れるのか、正確な時期を知る必要はありません。私たちは、主が来られるその時がまるで盗人のように、静かに、そして突然に来ることを理解する必要があります。周囲の人々が「平和である、安心である」と言っている時に、その無防備さを悪用して、主の日は予期せぬ形で到来します。
この聖句は、私たちに警告を与えています。まるで妊婦が突然に産みの苦しみを迎えるように、壊滅的な瞬間は避けられません。そして、その時にどれほど準備をしていても、その瞬間の到来は止めることができません。だからこそ、信仰をもって日々を生き、主の教えを心に留め、自らの行いを見つめ直す必要があるのです。
私たちは、日々の生活において神の御言葉を大切にし、準備を怠らないようにしなければなりません。信仰を持つことは、決してただの儀式ではなく、生活そのものにおいて神の導きを受けることであり、心を常に神に向けることです。
主の日は必ずやってきます。その時を迎える準備をし、心安らかに主を待ち望むことで、私たちは真の平和と安全を見つけるはずです。この聖句を通じて、私たちは神の御心を理解し、日々の生活に活かすことが求められています。