イエスに生きる:まことのぶどうの木からの教え
(ヨハネによる福音書 15:1-10)
「私はまことのぶどうの木、私の父は農夫である。
私につながっている枝で実を結ばないものはみな、父が取り除き、実を結ぶものはみな、もっと豊かに実を結ぶように手入れをなさる。
私が語った言葉によって、あなたがたはすでに清くなっている。
私につながっていなさい。私もあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、私につながっていなければ、実を結ぶことができない。
私はぶどうの木、あなたがたはその枝である。人が私につながっており、私もその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。私を離れては、あなたがたは何もできないからである。
私につながっていない人がいれば、枝のように投げ捨てられて枯れる。そして、集められ、火に投げ入れられて焼かれてしまう。
あなたがたが私につながっており、私の言葉があなたがたの内にとどまっているならば、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる。
あなたがたが豊かに実を結び、私の弟子となるなら、それによって、私の父は栄光をお受けになる。
父が私を愛されたように、私もあなたがたを愛した。私の愛にとどまりなさい。
私が父の戒めを守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、私の戒めを守るなら、私の愛にとどまっていることになる。
(ヨハネによる福音書 15:1-10) 『聖書 聖書協会共同訳』より引用
イエスは言われました。「私はまことのぶどうの木、私の父は農夫である。」この言葉は、私たちの信仰の根源を示しています。イエスに結びつくことは、私たちが真に生きるために不可欠です。彼につながることで、私たちは実を結び、神の栄光を現す存在となります。
イエスは続けて言います。「私が語った言葉によって、あなたがたはすでに清くなっている。」これは、聖なる言葉が私たちの心を浄化し、神との関係を強める力を持つことを強調しています。私たちが日々の生活の中でどのように神とつながっているのか、心に留める必要があります。
「私につながっていなさい。私もあなたがたにつながっている。」とイエスはオススメします。私たちが彼に密接につながるとき、私たちの人生も豊かに実を結ぶことができるのです。「私はぶどうの木、あなたがたはその枝である。」この関係は、互いに依存しあうものであり、私たちがイエスとつながっている限り、神の恵みが注がれます。
さらに、イエスは警告しています。「私を離れては、あなたがたは何もできないからである。」これは私たちに対する重要な警告です。私たちが神から離れるとき、信仰の実を結ぶことはできません。
「あなたがたが私につながっており、私の言葉があなたがたの内にとどまっているならば、望むものを何でも願いなさい。」この約束は、私たちがイエスにとどまることで、神からの祝福を受け取る条件があることを示しています。
「私の愛にとどまりなさい。」イエスのこの言葉を覚え、私たちもまた彼の戒めを守り、愛をもって生きることが大切です。彼に結びつくことで、私たちの信仰は深まり、より多くの実を結ぶことができます。この関係を通じて、私たちの人生は神の栄光を表し、愛で満たされるのです。