主に導かれて—新しい道を歩むための聖句
(コロサイの信徒への手紙 3:5-11)
だから、地上の体に属するもの、すなわち、淫らな行い、汚れた行い、情欲、悪い欲望、および貪欲を殺してしまいなさい。貪欲は偶像礼拝にほかなりません。
これらのことのために、神の怒りが不従順の子らの上に下るのです。
あなたがたも、以前このようなものの中に生きていたときは、そのように歩んでいました。
しかし今は、そのすべてを、すなわち、怒り、憤り、悪意、冒瀆、口から出る恥ずべき言葉を捨てなさい。
互いに噓をついてはなりません。古い人をその行いと共に脱ぎ捨て、
新しい人を着なさい。新しい人は、造り主のかたちに従ってますます新たにされ、真の知識に達するのです。
そこには、もはやギリシア人とユダヤ人、割礼のある者とない者、未開の人、スキタイ人、奴隷、自由人の違いはありません。キリストがすべてであり、すべてのものの内におられるのです。
(コロサイの信徒への手紙 3:5-11) 『聖書 聖書協会共同訳』より引用
私たちがこの世でどのように生きるべきか、聖書は明確に教えてくれます。「だから、地上の体に属するものを殺してしまいなさい」との言葉には、古い価値観や貪欲を捨てる大切さが表れています。私たちはしばしば、自己中心的な欲望にとらわれ、神の道を見失ってしまいます。しかし、イエス・キリストのもとに来ることで、私たちは新しい人として生まれ変わることができます。
「新しい人を着なさい」という一節は、私たちが日々の生活の中でどのように振る舞うべきかを示しています。怒りや憤り、口から言い放たれる恥ずべき言葉を捨て、真の知識と愛に基づいた行動を選ぶことで、私たちは主により近づくことができるのです。互いに嘘をつくことなく、誠実に生きることこそが、キリストの教えの核心です。
また、聖書は私たちの違いを超えて、一つの体としての結束を促します。「そこには、もはやギリシア人とユダヤ人の違いはありません」とあります。これは、私たちが一人一人異なった背景を持っていても、キリストが中心にいることで、全てが一つになることを示しています。
神の前での一致と、新しい生き方を目指すことは、私たちがクリスチャンとして成長するために必要な道です。聖句に耳を傾け、真理を心に刻むことで、私たちの人生はますます豊かに、また意味深いものとなるでしょう。主に導かれ、共に歩んでいきましょう。