暴虐の中にも、真実を求めて生きる-エレミヤ書の教え
(エレミヤ書 17:9-13)
心は何にも増して偽り、治ることもない。
誰がこれを知りえようか。
主である私が心を探り
思いを調べる。
おのおのが歩んだ道
その業が結んだ実に応じて報いるためである。
しゃこが自分の産まなかった卵を抱くように
不正に富をなす者がいる。
しかしその生涯の半ばで、彼は富を失い
ついには、愚か者となる。
我々の聖所の場所は
初めから高い所、栄光の座である。
イスラエルの望みである主よ
あなたを捨てる者は皆、恥じ入り
あなたから離れる者は地の中にその名が記される。
命の水の泉である主を捨てたからだ。
(エレミヤ書 17:9-13) 『聖書 聖書協会共同訳』より引用
暴虐の中にも、私たちは心の中に真実を求める必要があります。「心は何にも増して偽り、治ることもない」と述べるエレミヤ書は、私たちの内面を深く探ることの重要性を教えています。主である神は私たちの心を探り、思いを調べておられます。その中で、私たちがどのように歩み、その業がどのように結実するのかに応じて報いられるのです。
この中で不正に富を得ようとする者たちの姿が浮かび上がります。彼らは、しゃこが自分の産まなかった卵を抱くように、空しい努力をすることになります。しかし、いずれその栄華は失われ、愚か者となる運命にあります。神は、私たちの行いの結果を見逃すことはありません。
私たちの聖所は初めから高い所、栄光の座にあります。そのため、イスラエルの希望である主を捨てる者は恥じ入るのです。神を離れる者は、地の中にその名が記されるという厳しい警告を受けるのです。これは、私たちが命の水の泉である主を捨ててはいけないことを思い起こさせます。
私たちは日々の生活の中で、この聖句を胸に刻み、真実を求めて歩むべきです。神のみ言葉に耳を傾け、心からの信仰を持って生きること、その姿勢こそが、私たちに与えられた真の名言と言えるでしょう。神はいつも私たちを見守り、私たちの選ぶ道に導いてくださいます。心の偽りに惑わされず、真実に生き、その先にある祝福を受け取ることができるよう、今日も主に祈りを捧げましょう。