イエスが教える真の価値-つまずきと命の選択
(マルコによる福音書 9:42-50)
「また、私を信じるこれらの小さな者の一人をつまずかせる者は、ろばの挽く石臼を首に懸けられて、海に投げ込まれてしまうほうがはるかによい。
もし片方の手があなたをつまずかせるなら、切り捨てなさい。両手がそろったままゲヘナの消えない火の中に落ちるよりは、片手になって命に入るほうがよい。✝
★底本に節が欠けている箇所の異本による訳文 そこでは蛆が尽きることも、火が消えることもない。
もし、片方の足があなたをつまずかせるなら、切り捨てなさい。両足がそろったままゲヘナへ投げ込まれるよりは、片足になって命に入るほうがよい。✝
★底本に節が欠けている箇所の異本による訳文 そこでは蛆が尽きることも、火が消えることもない。
もし片方の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出しなさい。両目がそろったままゲヘナに投げ込まれるよりは、一つの目になって神の国に入るほうがよい。
ゲヘナでは蛆が尽きることも、火が消えることもない。
人は皆、火で塩気を付けられねばならない。
塩は良いものである。だが、塩に塩気がなくなれば、あなたがたは何によって塩に味を付けるのか。自分自身の内に塩を持ちなさい。そして、互いに平和に過ごしなさい。」
(マルコによる福音書 9:42-50) 『聖書 聖書協会共同訳』より引用
イエスは、私たちにとっての「つまずき」の重大さを教えておられます。小さな者をつまずかせる者のために、厳しい警告が与えられているのです。「ろばの挽く石臼を首に懸けられて、海に投げ込まれてしまうほうがはるかによい」という言葉からも、その真剣さが伝わります。私たちの手や足、目がつまずきをもたらすものであるなら、思い切ってそれを切り捨てなさいと。
これは、物理的な手足の欠損について述べているのではありません。むしろ、私たちの心の在り方、そして日常の選択について語られているのです。どんなに残酷に思えても、霊的な命に与える影響を考えれば、私たちが何を捨てるかは十分に重要です。悪いものを持ち続けていると、結果的に命そのものを失ってしまうのです。
さらに、イエスは「自分自身の内に塩を持ちなさい」と教えています。塩は良いものであり、私たちの人生に味を与え、周囲との関係を豊かにします。私たちが内なる塩、すなわち真実や愛、献身を持って生きることができれば、周囲にも良い影響を与え平和な関係を築くことができます。
この教えを胸に、日々の生活の中で「つまずき」の要因を見つめなおし、内なる塩を大切にしながら、互いに平和に過ごしていくことが求められています。私たちの選び続けるものこそが、神の国に入る道へと繋がっているのです。神の御前に立つ時、私たちの持つ塩の価値が示されますように願います。