信仰に生きる:主の慈しみが常に新しいことを知る
(哀歌 3:22-27)
主の慈しみは絶えることがない。
その憐れみは尽きることがない。
それは朝ごとに新しい。
あなたの真実は尽きることがない。
「主こそ私の受ける分」と私の魂は言い
それゆえ、私は主を待ち望む。
主は、ご自分に希望を置く者に
ご自分を探し求める魂に恵み深い。
主の救いを黙して待ち望む者に恵み深く
若い時に軛を負う者に恵み深い。
(哀歌 3:22-27) 『聖書 聖書協会共同訳』より引用
主の慈しみは絶えることがない。その憐れみは尽きることがなく、私たちの一日一日を新たにする源である。朝が来るたびに、主の真実は私たちに注がれ、私たちの心に希望をもたらす。聖書の言葉にあるように、「主こそ私の受ける分」と私の魂は告げる。だからこそ、私は主を待ち望み、その導きを求めて歩むのだ。
主は、自らに希望を置く者に対して恵みを注ぎ、真摯に心から求める者にその手を差し伸べる。主の救いを静かに待ち望む者には、特別な恵みが与えられる。人生の若い時期には、困難や試練がやってくるかもしれない。しかし、その中でも主は私たちを支え、軛を負わせてくださる。この試練の中にこそ、私たちの信仰が鍛えられ、成長するチャンスがあるのだ。
私たちの人生には思いがけない困難が訪れるが、主の慈しみに頼ることで、私はその先にある希望を見出すことができる。今日も主の言葉を胸に刻み、信仰をもって歩んでいこう。主の真実は、いつも変わらず私たちを包んでいることを忘れずに。共に祈り、希望を持ち続けるならば、主は私たちの道を照らしてくださるだろう。