主の受難と沈黙の意味-聖書に学ぶ真実

(マルコによる福音書 15:1-5)

原文

夜が明けるとすぐ、祭司長たちは、長老たちや律法学者たちと共に最高法院全体で協議した後、イエスを縛って連れ出し、ピラトに引き渡した。

ピラトがイエスに、「お前はユダヤ人の王なのか」と尋問すると、イエスは、「それは、あなたが言っていることだ」とお答えになった。

そこで祭司長たちが、いろいろとイエスを訴えた。

ピラトが再び尋問した。「何も答えないのか。あんなにお前を訴えているのに。」

しかし、ピラトが不思議に思うほどに、イエスはもう何もお答えにならなかった。

出典

(マルコによる福音書 15:1-5) 『聖書 聖書協会共同訳』より引用

妙機牧師の教え

イエス・キリストの受難の劇的な瞬間は、夜が明けるとともに始まります。祭司長たちや長老たち、律法学者たちは、全てを敵として固め、最高法院での協議を重ねます。この時、イエスは縛られ、無実の者が不当な扱いを受ける姿が描かれています。ピラトがイエスに「お前はユダヤ人の王なのか」と触れると、イエスは静かに「それは、あなたが言っていることだ」と応答します。この短い言葉に、彼の意志と真実が込められています。

祭司たちがイエスを訴える声が高まる中、ピラトは驚きを隠せません。普段、力強く言葉を発するイエスが、無言のままでいる姿は、彼の内なる平和を象徴しているように見えます。「何も答えないのか」と問いかけるピラトに対し、イエスはさらなる反論をしませんでした。無実の者が静かに苦しむことで、私たちに教えるのは、しばしば沈黙の中に真実が宿るということです。

これらの出来事を通じて、私たちは、イエスの苦しみが持つ意味を探ることが求められます。沈黙の中には、神の計画が隠れていることがあります。聖句は私たちに、どんな状況においても信じる心を持ち続けることが大切だと教えています。受難のイエスの姿勢を見れば、私たちもまた困難に直面した時、信仰をもって沈黙し、神の導きを待つべきであることが理解できます。

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