キリストの愛につながる-真実のつながりを求めて
(ガラテヤの信徒への手紙 2:19-21)
私は神に生きるために、律法によって律法に死にました。私はキリストと共に十字架につけられました。
生きているのは、もはや私ではありません。キリストが私の内に生きておられるのです。私が今、肉において生きているのは、私を愛し、私のためにご自身を献げられた神の子の真実によるものです。
私は神の恵みを無駄にはしません。なぜなら、もし義が律法を通して得られるならば、キリストの死は無駄になってしまうからです。
(ガラテヤの信徒への手紙 2:19-21) 『聖書 聖書協会共同訳』より引用
私たちは日々の生活の中で、さまざまな選択に直面します。そして、その選択の根底には、神の律法とキリストの愛の対比があります。私もまた、神に生きるために律法によって律法に死にました。これは、自分自身の力や努力ではなく、キリストの助けに委ねることを意味します。信仰とは、ただ単にルールを守ることではなく、心から主を受け入れることです。
私が今、生きているのは、もはや私ではありません。キリストが私の内に生きておられるのです。この聖句(ガラテヤの信徒への手紙 2:19-21)は、私たちのアイデンティティを変える力があります。私たちの人生は、神の子であるキリストの存在によって輝きます。彼は私たちを愛し、私のために命を捨てられたのです。この真実によって、私の信仰は新しい命を得ているのです。
私たちは神の恵みを無駄にはしません。それは、私たちの行いではなく、キリストの犠牲によって与えられるものです。もし義が律法を通して得られるならば、キリストの死は無駄になってしまいます。しかし、キリストの愛が私たちを貫いているとき、私たちはその恵みをもって自由に生きることができるのです。
主の愛に応え、共に歩む私たちの姿勢こそが、真の信仰を生み出します。キリストにしっかりとつながり、彼の愛と真実を日々の生活の中で感じながら、歩んでいきましょう。私たちの信仰は、キリストとの関係の中で豊かに実を結ぶのです。