地上の旅人-聖書の形成する道標
(フィリピの信徒への手紙 3:8-16)
そればかりか、私の主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失と見ています。キリストのゆえに私はすべてを失いましたが、それらを今は屑と考えています。キリストを得、
キリストの内にいる者と認められるためです。私には、律法による自分の義ではなく、キリストの真実による義、その真実に基づいて神から与えられる義があります。
私は、キリストとその復活の力を知り、その苦しみにあずかって、その死の姿にあやかりながら、
何とかして死者の中からの復活に達したいのです。
私は、すでにそれを得たというわけではなく、すでに完全な者となっているわけでもありません。何とかして捕らえようと努めているのです。自分がキリスト・イエスによって捕らえられているからです。
きょうだいたち、私自身はすでに捕らえたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、
キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。
だから、完全な者は誰でも、このように考えるべきです。しかし、あなたがたが何か別の考え方をしているなら、神はそのことも明らかにしてくださいます。
いずれにせよ、私たちは到達したところに基づいて進みましょう。
(フィリピの信徒への手紙 3:8-16) 『聖書 聖書協会共同訳』より引用
私たちは、この地上で旅する者として、常に目指すべき場所があることを忘れてはなりません。フィリピの信徒への手紙に記されているように、「私の主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさ」によって、私たちは物質的な価値を超えた何かを見出すことができます。すべてのものを失うことは恐れるべきことではなく、むしろキリストを得るための道であると認識すべきです。
この世の名誉や利益を追い求めるのではなく、キリストの真実に基づく義を得ることが、私たちの真の目標です。「私は、キリストとその復活の力を知り、苦しみにあずかることを望んでいます。」これが、私たち一人ひとりの生きる目的であり、力強さの源となるのです。
私たちは「何とかして死者の中からの復活に達したいのです」との思いをもって、日々努めるべきです。過去を振り返ることなく、前にある神からの召しに向かって走り続ける姿勢が求められています。「後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、賞を得るために目標を目指してひたすら走ること」が私たちの召命です。
この旅路の中で、私たちはそれぞれの信仰において進んでいくのです。「完全な者はこのように考えるべきです」との教えは、私たちの心を一つにし、神の導きに従うことを促します。神は私たちが何を考えているかを明らかにしてくださいます。
私たちは、到達したところからさらに進むべきです。この旅路は終わりではなく、新たな始まりです。「キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の賞」を常に意識しながら、心を一つにして歩み続けましょう。