主の望み:つながることで得られる豊かな実
(ヨハネによる福音書 15:5-10)
私はぶどうの木、あなたがたはその枝である。人が私につながっており、私もその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。私を離れては、あなたがたは何もできないからである。
私につながっていない人がいれば、枝のように投げ捨てられて枯れる。そして、集められ、火に投げ入れられて焼かれてしまう。
あなたがたが私につながっており、私の言葉があなたがたの内にとどまっているならば、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる。
あなたがたが豊かに実を結び、私の弟子となるなら、それによって、私の父は栄光をお受けになる。
父が私を愛されたように、私もあなたがたを愛した。私の愛にとどまりなさい。
私が父の戒めを守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、私の戒めを守るなら、私の愛にとどまっていることになる。
(ヨハネによる福音書 15:5-10) 『聖書 聖書協会共同訳』より引用
聖書の中でイエスは、「私はぶどうの木、あなたがたはその枝である」と教えています。この比喩は、信者とイエスとの深い関係性を示しています。私たちがイエスにしっかりとつながり、その言葉を心に留めるなら、私たちは豊かに実を結ぶことができるのです。イエスとの関係がしっかりしていないと、私たちは枯れた枝のように役に立たなくなってしまうことも警告されています。
さらに、「望むものを何でも願いなさい」との言葉は、私たちがイエスとつながることで神の祝福を受け取る能力があることを示唆しています。私たちの祈りが聞かれるためには、まずイエスの愛にとどまり、その言葉を日々の生活の中で実践することが求められます。これこそが、神の栄光を表すことにつながり、私たちの信仰がより強まる証となるのです。
私たちが互いに愛し合うことが、イエスが私たちに望まれていることでもあります。彼の戒めを守り、彼の愛にとどまるならば、神の栄光が私たちの生活に顕現していきます。私たちの信仰の根本は、イエスへのつながりにあります。この関係を築くことで、私たちは神の意志を実現し、他者に対しても愛を持って接することができるのです。それが私たちが神に喜ばれる生き方であり、彼の栄光を顕す道となるのです。