主のいましめと神の恐れについての聖句
(出エジプト記 20:18-20)
民は皆、雷鳴がとどろき、稲妻が光り、角笛の音と山が煙るのを目の当たりにした。民は見て震え、遠く離れて立ち、
モーセに言った。「あなたが私たちに語ってください。そうすれば私たちは聞き従います。しかし神が私たちにお語りにならないようにしてください。私たちが死なないためです。」
モーセは民に言った。「恐れてはならない。神が来られたのは、あなたがたを試みるためである。神への畏れをあなたがたの目の前に置き、あなたがたが罪を犯さないようにするためである。」
(出エジプト記 20:18-20) 『聖書 聖書協会共同訳』より引用
イスラエルの民が、シナイ山のふもとで神の御声を聞くとき、彼らの心には恐れが満ちました。雷鳴が轟き、稲妻がひらめき、境界を越えようとすることは死を意味するかもしれないと感じたのです。「あなたが私たちに語ってください」と、その民はモーセに頼みました。この響きは、神の存在を認識する力を示しています。
モーセは彼らを落ち着かせ、「恐れてはならない」と告げました。彼は神が民に試練を与え、彼らを強めるために来られたことを訴えたのです。その試みは、神への畏れを持たせるためであり、それが民の生活の基盤を築くものであると伝えました。罪に陥ることなく、主のいましめを守るために与えられたその恐れは、実は愛に満ちた導きとなるのです。
私たちもまた、神の声を聴くことで恐れを感じることがあります。しかし、その恐れは私たちを支えるべきものです。神が私たちに語られるとき、その言葉は常に私たちを愛し、正しい道に導こうとするものです。そして、神のいましめは私たちのより良い生き方を促すものでもあります。私たちはその言葉に従い、神を畏れ、信じることが求められているのです。神の教えを胸に抱き、共に歩むことが、私たち自身の信仰を深める道となります。