十字架の愛—私たちの病を担った主の聖句
(イザヤ書 53:4-9)
彼が担ったのは私たちの病
彼が負ったのは私たちの痛みであった。
しかし、私たちは思っていた。
彼は病に冒され、神に打たれて
苦しめられたのだと。
彼は私たちの背きのために刺し貫かれ
私たちの過ちのために打ち砕かれた。
彼が受けた懲らしめによって
私たちに平安が与えられ
彼が受けた打ち傷によって私たちは癒やされた。
私たちは皆、羊の群れのようにさまよい
それぞれ自らの道に向かって行った。
その私たちすべての過ちを
主は彼に負わせられた。
彼は虐げられ、苦しめられたが
口を開かなかった。
屠り場に引かれて行く小羊のように
毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように
口を開かなかった。
不法な裁きにより、彼は取り去られた。
彼の時代の誰が思ったであろうか。
私の民の背きのために彼が打たれ
生ける者の地から絶たれたのだと。
彼は暴虐をなさず
口には偽りがなかったのに
その墓は悪人どもと共にされ
富める者と共に葬られた。
(イザヤ書 53:4-9) 『聖書 聖書協会共同訳』より引用
私たちの主イエス・キリストが担った十字架は、私たちの病と痛みを背負うためのものでした。彼は私たちの背きのために刺し貫かれ、私たちの過ちのために打ち砕かれました。この恵み深い聖句は、主がどのようにして私たちに平安をもたらしたかを示しています。彼が受けた懲らしめによって、私たちは癒やされ、主の愛を深く体感することができるのです。
私たちは羊のように迷い、それぞれが自分の道を歩んでいましたが、主は全ての過ちを彼に負わせ、私たちを救うために自らを犠牲にされました。一見不当な裁きにより、彼は葬られましたが、彼が無実であることを知る者は誰もいませんでした。彼は口を開かず、暴虐をなさず、偽りの言葉も口にしなかったのです。
この世の中で、私たちはしばしば苦しみや困難に直面しますが、イザヤ書53章のこの聖句を思い出すことで、私たちの心に平安がもたらされます。主の十字架の愛は、私たちを癒し、導いてくださるものです。彼の受けた打ち傷からこそ、私たちは真の癒しを得ることができるのです。彼の苦しみを通して、私たちは神の愛の深さを知り、日々の生活でその温もりを実感することができます。十字架は、私たちの病を担った愛の象徴です。この愛をどうか心に留め、感謝し続けましょう。