常に備えよ-いけにえとしての生き方と信仰の確かさ
(テモテへの手紙二 4:6-8)
私自身は、すでにいけにえとして献げられており、世を去るべき時が来ています。
私は、闘いを立派に闘い抜き、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。
今や、義の冠が私を待っているばかりです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるでしょう。私だけでなく、主が現れるのを心から待ち望むすべての人に授けてくださるでしょう。
(テモテへの手紙二 4:6-8) 『聖書 聖書協会共同訳』より引用
私たちの人生は、常に神への献身と信仰の歩みを求められています。「私自身は、すでにいけにえとして献げられており、世を去るべき時が来ています」との言葉が示すように、信仰者としての死は避けられないものです。しかし、それは終わりではなく、新たな始まりとして捉えることができるのです。私たちは、日々の生活の中で常に備え、神の御心に沿った道を選ぶことが求められます。
「私は、闘いを立派に闘い抜き、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました」との言葉は、闘いの中にある私たちの姿勢を教えています。信仰は一瞬だけのものではなく、日々の選択と戦いの積み重ねです。私たちが目指すべきは、義の冠であり、それは神が与えてくださるものであることを忘れてはなりません。
「今や、義の冠が私を待っているばかりです」との言葉が表すように、私たちの信仰の歩みは神によって報われることを信じることで強化されます。主が正しい審判者であることを心に留め、彼が再び現れるその日を心から待ち望む魂が求められています。
「主が現れるのを心から待ち望むすべての人に授けてくださるでしょう」という約束は、信仰者全てに希望を与えています。私たちは、日々の生活の中で神との関係を深め、信頼を寄せることで、義の冠を受け取る準備をすることができます。信仰を守り続け、本当に大切なものとして生きていきましょう。