十のいましめと信仰の真実-イエスの教えから学ぶ

(マタイによる福音書 15:1-9)

原文

その頃、ファリサイ派の人々と律法学者たちが、エルサレムからイエスのもとに来て言った。

「なぜ、あなたの弟子たちは、長老たちの言い伝えを破るのですか。彼らは食事の前に手を洗いません。」

イエスはお答えになった。「なぜ、あなたがたも自分の言い伝えのために、神の戒めを破っているのか。

神は、『父と母を敬え』と言い、『父や母を罵る者は、死刑に処せられる』と言っておられる。

それなのに、あなたがたは言っている。『父または母に向かって、「私にお求めのものは、神への供え物なのです」と言う者は、

父を敬わなくてもよい』と。こうして、あなたがたは、自分の言い伝えのために神の言葉を無にしている。

偽善者たちよ、イザヤは、あなたがたのことを見事に預言したものだ。

『この民は唇で私を敬うが

その心は私から遠く離れている。

空しく私を崇め

人間の戒めを教えとして教えている。』」

出典

(マタイによる福音書 15:1-9) 『聖書 聖書協会共同訳』より引用

妙機牧師の教え

イエスは、律法学者やファリサイ派の人々が、長老たちの伝統を重視するあまり、神の戒めを無視していることを指摘しました。「父と母を敬え」(出エジプト記 20:12)という神の戒めは、表面的な行動以上に心のあり方が重要であると教えています。実際、イエスは言います。「この民は唇で私を敬うが、その心は私から遠く離れている。」(イザヤ書 29:13) ここでの教訓は、表面的な行いに頼ることなく、真の信仰を持つことの重要性です。

私たちも時に、形式を重んじるあまり、神との関係が薄れてしまうことがあります。日常の忙しさや人間の伝統に流されることなく、心から神を敬い、真の信仰を示す生き方をするようにと聖書は示しています。イエスは、「あなたがたは自分の言い伝えのために、神の言葉を無にしている」と警告します。この警告は、現在の私たちにも当てはまります。

神の言葉を無視し、形式的な習慣を優先することが、私たちの信仰を蝕む原因になり得るからです。私たちの心が神に向かうとき、ただの外面的な行為ではなく、真実な崇拝が生まれます。それこそが、聖句が教えている真実であり、神への深い敬いを伴った生き方を選ぶ知恵です。日々の生活の中で神の戒めを思い起こし、自分の心を真に神に向けることが求められます。

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