主に導かれて-聖書の名言からの学び
(使徒言行録 1:6-11)
さて、使徒たちは集まっていたとき、「主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか」と尋ねた。
イエスは言われた。「父がご自分の権威をもってお定めになった時や時期は、あなたがたの知るところではない。
ただ、あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、私の証人となる。」
こう話し終わると、イエスは彼らが見ている前で天に上げられ、雲に覆われて見えなくなった。
イエスが昇って行かれるとき、彼らは天を見つめていた。すると、白い衣を着た二人の人がそばに立って、
言った。「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。あなたがたを離れて天に上げられたイエスは、天に昇って行くのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またお出でになる。」
(使徒言行録 1:6-11) 『聖書 聖書協会共同訳』より引用
主に導かれるためには、私たちの目を天に向けることが重要です。使徒たちが集まった際、彼らはイエスに国の建て直しについて尋ねました。この問いには、彼らの心にある期待と不安が表れています。イエスはそれに対して、「父がご自分の権威をもってお定めになった時や時期は、あなたがたの知るところではない」と答えました。この言葉は、私たちに未来を知ることには限界があることを思い出させます。
しかしイエスは続けて、「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける」と述べています。私たちは、神からの力と導きによって日々の生活を歩むことができるのです。この聖句は、私たちが持つべき希望の源でもあります。私たちの信仰生活において、聖霊の導きが必要不可欠であることを教えてくれます。
イエスが天に昇る姿は、私たちにとって大きな鼓舞です。目を上げて天を見つめるとき、私たちは今ここにいる神の存在をリアルに感じることができます。白い衣を着た二人の者が「イエスがお出でになる」と告げるではありませんか。これは、私たちが待たねばならない希望の象徴でもあり、神がいかなる時も私たちを見守っているという励ましでもあります。
日常の忙しさに流されず、主に目を向ける時、私たちは聖霊に満たされ、真の証人として歩むことが可能となります。信仰を持ち、力強く進む者であり続けたいと願うのです。主に導かれるその道を共に歩んでいきましょう。