主に導かれて-聖書の言葉から学ぶ真実の強さ
(コリントの信徒への手紙二 13:1-4)
私があなたがたのところに行くのは、これで三度目です。すべてのことは、二人ないし三人の人の証言によって確定されるべきです。
以前罪を犯した者たちと、他のすべての人々に、二度目の滞在中に前もって言っておいたように、離れている今もあらかじめ言っておきます。そちらに行ったら、今度は情けはかけません。
なぜなら、あなたがたはキリストが私によって語っておられる証拠を求めているからです。キリストはあなたがたに対して弱い方ではなく、あなたがたの内にあって強い方です。
キリストは、弱さのゆえに十字架につけられましたが、神の力のゆえに生きておられるからです。私たちもキリストにあって弱い者ですが、あなたがたに対しては、神の力のゆえにキリストと共に生きるのです。
(コリントの信徒への手紙二 13:1-4) 『聖書 聖書協会共同訳』より引用
「私があなたがたのところに行くのは、これで三度目です。すべてのことは、二人ないし三人の人の証言によって確定されるべきです。」この言葉は、主の真実を証言することの力と重要性を示しています。特に私たちが神と共に歩むとき、複数の証言の必要性を忘れてはなりません。神の教えを確かにするためには、信仰の共同体の存在が必要だからです。
「なぜなら、あなたがたはキリストが私によって語っておられる証拠を求めているからです。」私たちはしばしば神の具体的な証拠を求めますが、その信仰を支えるのは、私たちが理解することのできない神の力です。「キリストはあなたがたに対して弱い方ではなく、あなたがたの内にあって強い方です。」この言葉は、私たちの内なる力がどこから来るのかを教えてくれます。私たちは、自分の限界を感じるときでも、神の力によって支えられています。
また、「キリストは、弱さのゆえに十字架につけられましたが、神の力のゆえに生きておられるからです。」これは、私たちが弱さを抱えている時こそ、真の力が表れる瞬間であることを思い出させます。どんな試練にあっても、私たちが神を信じ、キリストに従うことで、希望と力を見いだすことができます。
神の力によって共に生きることを選ぶなら、私たちはどんな状況でも主に支えられ、導かれるでしょう。信仰の力によって、私たちもキリストと共に歩む者であり続けましょう。