モーセの歌—主の裁きと愛の約束を吟じる

(申命記 32:36-43)

原文

主はご自分の民を裁き

僕らを憐れむ。

彼らの力がうせ

つながれた者も自由な者もいないのを

御覧になるからである。

主は言われる。

「彼らの神々はどこにいるのか。

逃れの岩はどこにあるのか。

彼らはいけにえの脂肪を食べ

供え物のぶどう酒を飲んだではないか。

その神々が立ち上がり

あなたがたを助け

あなたがたの隠れ家となればよい。

今こそ見よ、私、私こそそれである。

私のほかに神はいない。

私は殺し、また生かす。

私は傷つけ、また癒やす。

私の手から救い出せる者はない。

私は手を天に上げて誓う。

『私はとこしえに生きる。

私がきらめく剣を研ぎ

手に裁きを握るとき

私の敵に復讐し

私を憎む者に報いる。

私は矢を血に酔わせ

剣に肉を食らわせる。

殺された者と捕らわれた者の血を飲ませ

髪の長い敵の首領の首を食らわせる。』」

諸国民よ、主の民に喜びの声を上げよ。

主はその僕の血に報復し

その敵に復讐し

その民、その土地を清められる。

出典

(申命記 32:36-43) 『聖書 聖書協会共同訳』より引用

妙機牧師の教え

モーセの歌は、主が御自分の民を裁かれる際の深い愛の表れです。「主はご自分の民を憐れむ」とは何を意味するのでしょうか。私たちがどれほど犯した罪や過ちがあったとしても、主は私たちを見捨てることはありません。「彼らの力がうせ、つながれた者も自由な者もいないのを御覧になるからである」との言葉は、私たちがどんな状況にあっても、主が私たちを見守っていることの証です。

「今こそ見よ、私、私こそそれである。私のほかに神はいない」との主の言葉は、私たちがどのような神を信じているのかを問いかけます。どんなに過酷な状況にあっても、主が唯一の救い主であることを覚え、恐れずに進む勇気を与えられるのです。神は「私は殺し、また生かす」と宣言し、私たちの運命を左右する力を持っておられます。

さらに「諸国民よ、主の民に喜びの声を上げよ」という御言葉は、私たちに心から感謝し、主の御名を称えることを促しています。私たちが主のもとに帰り、また共に喜びを分かち合うことができるよう、心を一つにして生きていきたいものです。

モーセの歌は、私たちの信仰を強め、神の大いなる愛と正義を再認識させる名言です。この歌を通して、私たちは主の導きのもと、希望と愛に満ちた人生を歩むように励まされるのです。

愛と知恵、日々の聖書の言葉 愛と知恵、日々の聖書の言葉 愛と知恵、日々の聖書の言葉

注目の聖句