指揮者によって。マスキール。コラの子の詩。

鹿が涸れ谷で水をあえぎ求めるように

神よ、私の魂はあなたをあえぎ求める。

指揮者によって。マスキール。コラの子の詩。 鹿が涸れ谷で水をあえぎ求めるように 神よ、私の魂はあなたをあえぎ求める。 神に、生ける神に私の魂は渇く。 いつ御前に出て、神の御顔を仰げるのか。 昼も夜も、私は涙を食物とする。 人は日夜私に言う 「あなたの神はどこにいるのか」と。 私は祭りに集う人の群れと共に進み 喜びと感謝の声の中、彼らを神の家へと導いた。 それらを思い起こして、私の魂を注ぎ出す。 私の魂よ なぜ打ち沈むのか、なぜ呻くのか。 神を待ち望め。 私はなお、神をほめたたえる 「御顔こそ、わが救い」と。 わが神よ。 私の内で魂は打ち沈み、あなたを思い起こす ヨルダンの地から、ヘルモンとミザルの山から。 あなたの激流のとどろきに答えて 深淵は深淵を呼び込み 砕け散るあなたの波頭は私を越えて行く。 昼に、主は命じて慈しみを私に送り 夜には、主の歌が私と共にある わが生ける神への祈りが。 わが岩なる神にこう祈ろう。 「なぜ、私をお忘れになったのか。 なぜ、私は敵の虐げの中を嘆きながら歩くのか」と。 私を苦しめる者は私の骨という骨を砕き 日夜、私を嘲って言う 「あなたの神はどこにいるのか」と。 私の魂よ なぜ打ち沈むのか、なぜ呻くのか。 神を待ち望め。 私はなお、神をほめたたえる 「御顔こそ、わが救い」と。 わが神よ。

神、その道は完全であり

主の仰せは練り清められている。

主は御もとに逃れる者すべての盾。

主をおいて誰が神であろう

神、その道は完全であり 主の仰せは練り清められている。 主は御もとに逃れる者すべての盾。 主をおいて誰が神であろうか。 我らの神のほかに誰が大岩であろうか。 神は私の堅固な砦。 私の道を完全なものにした。 私の足を雌鹿のようにする方 私を高台に立たせる。 私の手に戦いを教える方。 私の腕は青銅の弓を引く。 あなたは私に救いの盾を授け あなたが応じてくださることが 私を大いなる者とした。 あなたは私の歩幅を広げ 私のくるぶしは揺らぐことがなかった。 私は敵を追いかけて根絶やしにし 滅ぼし尽くすまで引き返さなかった。 私が彼らを食らい、打ち砕くと 彼らは立ち上がることなく 私の足元に倒れ伏した。 あなたは戦う力を私の身に帯びさせた。 立ち向かう者を私のもとに屈服させる。 私の前で敵を敗走させた。 私を憎む者を私は滅ぼした。 彼らが見回しても救う者はなく 主に叫んでも主は応えない。 私は彼らを地の塵のように粉々にし 路上の泥のように踏み潰す。 あなたは私を民の争いから救い出し 国々の頭とした。 見知らぬ民も私に仕える。 異国の子らもそれを耳にし 私に服従し、聞き従う。 異国の子らは打ちしおれ 震えながら牢獄を出る。 主は生きておられる。 わが岩をたたえよ。 わが救いの岩なる神を崇めよ。 この神は私に報復を許す方。 もろもろの民を私に従わせる方。 敵から私を連れ出す方。 あなたは立ち向かう者から私を引き上げ 暴虐の者から助け出す。 それゆえ、主よ 私は国々の中であなたに感謝し 御名をほめ歌う。 王に大きな勝利をもたらす方 油注がれた者、ダビデとその子孫に とこしえまで慈しみを示す方。」

世界の相続人となるという約束が、アブラハムとその子孫に対してなされたのは、律法によるのではなく、信仰の義によるのです。

世界の相続人となるという約束が、アブラハムとその子孫に対してなされたのは、律法によるのではなく、信仰の義によるのです。 もし律法に頼る者が相続人であるとするなら、信仰は空しくなり、約束は無効になってしまいます。 律法は怒りを招くものであり、律法のないところには違反もありません。 従って、相続人となることは、信仰によるのです。こうして、恵みによって、アブラハムのすべての子孫、つまり、律法に頼る者だけでなく、彼の信仰に従う者も、確実に約束にあずかれるのです。アブラハムは、神の前で、私たちすべての者の父であって、 「私はあなたを多くの国民の父とした」と書いてあるとおりです。彼はこの神、すなわち、死者を生かし、無から有を呼び出される神を信じたのです。 彼は、望みえないのに望みを抱いて信じ、その結果、多くの国民の父となりました。「あなたの子孫はこのようになる」と言われているとおりです。 およそ百歳となって、自分の体がすでに死んだも同然であり、サラの胎も死んでいることを知りながらも、その信仰は弱まりませんでした。 彼は不信仰に陥って神の約束を疑うようなことをせず、むしろ信仰によって強められ、神を賛美しました。 神は約束したことを実現させる力も、お持ちの方だと確信していたのです。 だからまた、「それが彼の義と認められた」のです。 しかし、「それが彼の義と認められた」と書いてあるのは、アブラハムのためだけではなく、 私たちのためでもあります。私たちの主イエスを死者の中から復活させた方を信じる私たちも、義と認められるのです。 イエスは、私たちの過ちのために死に渡され、私たちが義とされるために復活させられたからです。

ユダヤ人たちが、「あなたはサマリア人で悪霊に取りつかれていると、我々が言うのも当然ではないか」と言い返すと、

イエスは

ユダヤ人たちが、「あなたはサマリア人で悪霊に取りつかれていると、我々が言うのも当然ではないか」と言い返すと、 イエスはお答えになった。「私は悪霊に取りつかれてはいない。父を敬っているのだ。しかし、あなたがたは私を敬わない。 私は、自分の栄光は求めない。私の栄光を求め、裁きをなさる方が、ほかにおられる。 よくよく言っておく。私の言葉を守るなら、その人は決して死を見ることがない。」 ユダヤ人たちは言った。「あなたが悪霊に取りつかれていることが、今はっきりした。アブラハムは死んだし、預言者たちも死んだ。ところが、あなたは、『私の言葉を守るなら、その人は決して死を味わうことがない』と言う。 私たちの父アブラハムよりも、あなたは偉大なのか。彼は死んだではないか。預言者たちも死んだ。一体、あなたは自分を何者だと思っているのか。」 イエスはお答えになった。「私が自分に栄光を帰するなら、私の栄光は空しい。私に栄光を与えてくださるのは私の父であって、あなたがたはこの方について、『我々の神だ』と言っている。 あなたがたはその方を知らないが、私は知っている。私がその方を知らないと言えば、あなたがたと同じく私も偽り者になる。しかし、私はその方を知っており、その言葉を守っている。 あなたがたの父アブラハムは、私の日を見るのを楽しみにしていた。そして、それを見て、喜んだのである。」 ユダヤ人たちが、「あなたは、まだ五十歳にもならないのに、アブラハムを見たのか」と言うと、 イエスは言われた。「よくよく言っておく。アブラハムが生まれる前から、『私はある。』」 すると、ユダヤ人たちは、石を取り上げ、イエスに投げつけようとした。しかし、イエスは身を隠して、神殿の境内から出て行かれた。

では、私たちがアブラハムを肉による先祖としていることについては、何と言うべきでしょう。

もし、彼が行いによって義とされ

では、私たちがアブラハムを肉による先祖としていることについては、何と言うべきでしょう。 もし、彼が行いによって義とされたのであれば、誇ってもよいが、神の前ではそれはできません。 聖書は何と言っていますか。「アブラハムは神を信じた。それが彼の義と認められた」とあります。 ところで、働く者に対する報酬は恵みではなく、当然支払われるべきものと見なされます。 しかし、不敬虔な者を義とされる方を信じる人は、働きがなくても、その信仰が義と認められます。 同じようにダビデも、行いがなくても神に義と認められた人の幸いを、こう言っています。 「不法を赦され、罪を覆われた人は 幸いである。 主に罪をとがめられない人は 幸いである。」 では、この幸いは、割礼のある者だけに与えられるのでしょうか。それとも、割礼のない者にも与えられるのでしょうか。私たちは言います。「アブラハムの信仰が義と認められた」のです。 どのようにしてそう認められたのでしょうか。割礼を受けてからですか、それとも、割礼を受ける前ですか。割礼を受けてからではなく、割礼を受ける前です。 アブラハムは、割礼を受ける前に信仰によって義とされた証印として、割礼の印を受けたのです。こうして彼は、割礼のないままに信じるすべての人の父となり、彼らも義と認められました。 また、彼は割礼の父ともなりました。割礼のある者にとってだけでなく、私たちの父アブラハムが割礼以前に持っていた信仰の足跡に従う者にとっても、父となったのです。

これらのことの後、神はアブラハムを試みられた。神が、「アブラハムよ」と呼びかけると、彼は、「はい、ここにおります」と答え

これらのことの後、神はアブラハムを試みられた。神が、「アブラハムよ」と呼びかけると、彼は、「はい、ここにおります」と答えた。 神は言われた。「あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そして私が示す一つの山で、彼を焼き尽くすいけにえとして献げなさい。」 アブラハムは朝早く起きて、ろばに鞍を置き、二人の従者と息子イサクを連れ、焼き尽くすいけにえに用いる薪を割り、神が示した場所へと出かけて行った。 三日目になって、アブラハムが目を上げると、遠くにその場所が見えた。 アブラハムは従者に言った。「ろばと一緒にここにいなさい。私と子どもはあそこまで行き、礼拝をしてまた戻って来る。」 アブラハムは焼き尽くすいけにえに用いる薪を取って、息子イサクに背負わせ、自分は火と刃物を手に持った。こうして二人は一緒に歩いて行った。 イサクが父のアブラハムに、「お父さん」と呼びかけると、彼は、「息子よ、何か」と答えた。そこでイサクは、「火と薪はここにありますが、焼き尽くすいけにえにする小羊はどこですか」と尋ねた。 するとアブラハムは、「息子よ、焼き尽くすいけにえの小羊は神ご自身が備えてくださる」と答え、二人はさらに続けて一緒に歩いて行った。 神が示された場所に着くと、アブラハムはそこに祭壇を築き、薪を並べ、息子イサクを縛って祭壇の薪の上に載せた。 アブラハムは手を伸ばして刃物を取り、息子を屠ろうとした。 すると、天から主の使いが呼びかけ、「アブラハム、アブラハム」と言った。彼が、「はい、ここにおります」と答えると、 主の使いは言った。「その子に手を下してはならない。何もしてはならない。あなたが神を畏れる者であることが今、分かった。あなたは自分の息子、自分の独り子を私のために惜しまなかった。」

イスラエルよ、立ち帰れ。

あなたの神、主のもとへ。

あなたは自分の罪につまずいた。

あなたがたは言葉を用意し

主

イスラエルよ、立ち帰れ。 あなたの神、主のもとへ。 あなたは自分の罪につまずいた。 あなたがたは言葉を用意し 主に立ち帰って、言え。 「どうぞ罪をすべて赦し 良いものを受け取ってください。 私たちは唇の実を献げます。 アッシリアは我々の救いとはなりません。 我々はもはや、馬には乗りません。 自らの手の業にすぎないものを 私たちの神だとは二度と言いません。 ただあなたによってこそ みなしごは憐れみを受けるのです。」 私は、背いた彼らを癒やし 喜んで愛する。 私の怒りは彼らから離れる。 私はイスラエルにとって露のようになる。 彼は百合のように花を咲かせ レバノン杉のようにその根を下ろす。 その若枝は茂り、麗しさはオリーブの木のように かぐわしさはレバノン杉のようになる。 人々は帰って来て、その陰に宿り 穀物のように実り ぶどうの木のように芽を吹く。 彼はレバノンのぶどう酒のように記憶される。 エフライムよ 私と偶像とに何の関わりがあろう。 私は彼に答え、彼を見守ろう。 緑豊かな糸杉、それが私である。 私によって、あなたは実を結ぶ。 知恵があり これらのことを理解し 洞察をもってそれと認める者は誰か。 主の道はまっすぐで、正しき者はそこを歩む。 だが、背く者はそこにつまずく。

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