すべてのことが許されています。しかし、すべてのことが益になるわけではありません。すべてのことが許されています。しかし、す

すべてのことが許されています。しかし、すべてのことが益になるわけではありません。すべてのことが許されています。しかし、すべてのことが人を造り上げるわけではありません。 誰でも、自分の利益ではなく、他人の利益を求めなさい。 市場で売っている物は、いちいち良心に問うことなく何でも食べなさい。 「地とそこに満ちるものは、主のもの」だからです。 あなたがたが信仰のない人に招かれて、それに応じる場合、自分の前に出されるものは、いちいち良心に問うことなく何でも食べなさい。 しかし、もし誰かが「これは、神殿に献げた肉です」と言うなら、そう知らせてくれた人のため、また良心のために、食べてはいけません。 「良心」と私が言うのは、自分の良心ではなく、他人の良心のことです。どうして私の自由が、他人の良心によって左右されることがあるでしょうか。 私が感謝して食事にあずかるなら、私が感謝しているものについて、どうして悪口を言われるわけがあるでしょうか。 だから、食べるにも、飲むにも、何をするにも、すべて神の栄光を現すためにしなさい。 ユダヤ人にも、ギリシア人にも、神の教会にも、つまずきを与えないようにしなさい。 私が、何事につけ、すべての人を喜ばせているようにです。私は、人々が救われるために、自分の利益ではなく、多くの人の利益を求めているのです。

神である主は、エデンの園に人を連れて来て、そこに住まわせた。そこを耕し、守るためであった。

神である主は、人に命じられ

神である主は、エデンの園に人を連れて来て、そこに住まわせた。そこを耕し、守るためであった。 神である主は、人に命じられた。「園のどの木からでも取って食べなさい。 ただ、善悪の知識の木からは、取って食べてはいけない。取って食べると必ず死ぬことになる。」 また、神である主は言われた。「人が独りでいるのは良くない。彼にふさわしい助け手を造ろう。」 神である主は、あらゆる野の獣、あらゆる空の鳥を土で形づくり、人のところへ連れて来られた。人がそれぞれをどのように名付けるか見るためであった。人が生き物それぞれに名を付けると、それがすべて生き物の名となった。 人はあらゆる家畜、空の鳥、あらゆる野の獣に名を付けた。しかし、自分にふさわしい助け手は見つけることができなかった。 そこで、神である主は人を深い眠りに落とされた。人が眠り込むと、そのあばら骨の一つを取り、そこを肉で閉ざされた。 神である主は、人から取ったあばら骨で女を造り上げ、人のところへ連れて来られた。 人は言った。 「これこそ、私の骨の骨、肉の肉。 これを女と名付けよう。 これは男から取られたからである。」 こういうわけで、男は父母を離れて妻と結ばれ、二人は一体となる。

パウロは、アレオパゴスの真ん中に立って言った。「アテネの皆さん、あなたがたがあらゆる点で信仰のあつい方であることを、私は

パウロは、アレオパゴスの真ん中に立って言った。「アテネの皆さん、あなたがたがあらゆる点で信仰のあつい方であることを、私は認めます。 道を歩きながら、あなたがたが拝むいろいろなものを見ていると、『知られざる神に』と刻まれている祭壇さえ見つけたからです。それで、あなたがたが知らずに拝んでいるもの、それを私はお知らせしましょう。 世界とその中の万物とを造られた神が、その方です。この神は天地の主ですから、人の手で造った神殿などにはお住みになりません。 また、何か足りないことでもあるかのように、人の手によって仕えてもらう必要もありません。すべての人に命と息と万物とを与えてくださるのは、この神だからです。 神は、一人の人からすべての民族を造り出して、地上の全域に住まわせ、季節を定め、その居住地の境界をお決めになりました。 これは、人に神を求めさせるためであり、また、彼らが探し求めさえすれば、神を見いだすことができるようにということなのです。実際、神は私たち一人一人から遠く離れてはおられません。 私たちは神の中に生き、動き、存在しているからです。皆さんのうちのある詩人たちも、『我らもその子孫である』と言っているとおりです。 私たちは神の子孫なのですから、神である方を、人間の技や考えで刻んだ金、銀、石などの像と同じものと考えてはなりません。

イエスが独りになられたとき、イエスの周りにいた人たちが、十二人と共に、たとえについて尋ねた。

そこで、イエスは言われた

イエスが独りになられたとき、イエスの周りにいた人たちが、十二人と共に、たとえについて尋ねた。 そこで、イエスは言われた。「あなたがたには神の国の秘義が授けられているが、外の人々には、すべてがたとえで示される。 それは、 『彼らは見るには見るが、認めず 聞くには聞くが、悟らず 立ち帰って赦されることがない』ためである。」 また、イエスは言われた。「このたとえが分からないのか。では、どうしてほかのたとえが理解できるだろうか。 『種を蒔く人』は、神の言葉を蒔くのである。 道端のものとは、こういう人たちである。そこに御言葉が蒔かれ、それを聞いても、すぐにサタンが来て、彼らに蒔かれた御言葉を奪い去る。 石だらけの所に蒔かれるものとは、こういう人たちである。御言葉を聞くとすぐ喜んで受け入れるが、 自分には根がないので、しばらくは続いても、後で御言葉のために苦難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまう。 また、茨の中に蒔かれるものとは、こういう人たちである。御言葉を聞くが、 世の思い煩いや富の誘惑、その他いろいろな欲望が入って来て、御言葉を塞いで実を結ばない。 良い土地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて受け入れる人たちであり、ある者は三十倍、ある者は六十倍、ある者は百倍の実を結ぶのである。」

主の言葉がアミタイの子ヨナに臨んだ。

「立って、あの大いなる都ニネベに行き、人々に向かって呼びかけよ。彼らの悪が私の前

主の言葉がアミタイの子ヨナに臨んだ。 「立って、あの大いなる都ニネベに行き、人々に向かって呼びかけよ。彼らの悪が私の前に上って来たからだ。」 しかし、ヨナは立ち上がると、主の御顔を避け、タルシシュに向けて逃亡を図った。彼がヤッファに下ると、タルシシュ行きの船が見つかったので、主の御顔を避けてタルシシュへ行こうと、船賃を払って人々と共に船に乗り込んだ。 だが、主が海に向かって大風を起こされたので海は大しけとなり、船は今にも砕けそうになった。 船乗りたちは恐怖のあまりそれぞれの神に向かって叫び、海に積み荷を投げ捨て、船を軽くしようとした。一方ヨナは、船底に降りて横たわり、寝入っていた。 やがて、船長がヨナのところに来て言った。「なぜ寝ているのか。さあ起きて、あなたの神に呼びかけなさい。そうすれば、神は我々のことを顧み、滅ぼさずにおかれるかもしれない。」 人々は互いに言った。「さあ、この災いが我々に降りかかって来たのは誰のせいなのか、くじを引いて確かめよう。」そこで彼らがくじを引くと、ヨナに当たった。 彼らはヨナに言った。「さあ、我々に話してほしい。この災難が我々に降りかかったのは、誰のせいか。あなたの仕事は何か。あなたはどこから来たのか。国はどこで、どの民の出身か。」 ヨナは彼らに言った。「私はヘブライ人です。海と陸とを造られた天の神、主を畏れる者です。」 人々は非常に恐れ、ヨナに「あなたは何をしたのか」と言った。ヨナが、主の御顔を避けて逃亡したことを伝えたので、人々はその経緯を知った。

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