神が私たちを救い、聖なる招きによって呼び出してくださったのは、私たちの行いによるのではなく、ご自身の計画と恵みによるので

神が私たちを救い、聖なる招きによって呼び出してくださったのは、私たちの行いによるのではなく、ご自身の計画と恵みによるのです。この恵みは、永遠の昔にキリスト・イエスにあって私たちに与えられ、 今や、私たちの救い主キリスト・イエスが現れたことで明らかにされたものです。キリストは死を無力にし、福音によって命と不死とを明らかに示してくださいました。 この福音のために、私は宣教者、使徒、教師に任命されました。 そのために、私はこのような苦しみを受けているのですが、それを恥じてはいません。私は自分が信じてきた方を知っており、私に委ねられたものを、その方がかの日まで守ることがおできになると確信しているからです。 キリスト・イエスにある信仰と愛をもって、私から聞いた健全な言葉を手本としなさい。 あなたに委ねられた良いものを、私たちの内に宿っている聖霊によって守りなさい。 あなたの知っているとおり、アジアにいる者たちは皆、私を離れて行きました。その中にはフィゲロとヘルモゲネスがいます。 主がオネシフォロの家族を憐れんでくださいますように。彼は、度々私を元気づけ、また、私が鎖につながれていることを恥とも思わず、 ローマに着くと私を熱心に探し、見つけ出してくれたのです。 どうか、主がかの日に、主のもとで彼に憐れみをかけてくださいますように。彼がエフェソでどれほど私に仕えてくれたかは、あなたのほうがよく知っています。

そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「よくよく言っておく。子は、父のなさることを見なければ、自分からは何もすることがで

そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「よくよく言っておく。子は、父のなさることを見なければ、自分からは何もすることができない。父がなさることは何でも、子もそのとおりにする。 父は子を愛して、ご自分のなさることをすべて子に示されるからである。また、これらのことよりも大きな業を子にお示しになって、あなたがたは驚くことになる。 父が死者を復活させて命をお与えになるように、子も、自分の望む者に命を与える。 また、父は誰をも裁かず、裁きをすべて子に委ねておられる。 すべての人が、父を敬うように、子を敬うためである。子を敬わない者は、子をお遣わしになった父をも敬わない。 よくよく言っておく。私の言葉を聞いて、私をお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また、裁きを受けることがなく、死から命へと移っている。 よくよく言っておく。死んだ者が神の子の声を聞き、聞いた者が生きる時が来る。今がその時である。 父が、ご自身の内に命を持っておられるように、子にも自分の内に命を持つようにしてくださったからである。 また、父は裁きを行う権能を子にお与えになった。子は人の子だからである。 このことで驚いてはならない。時が来ると、墓の中にいる者は皆、人の子の声を聞く。 そして、善を行った者は復活して命を受けるために、悪を行った者は復活して裁きを受けるために出て来るであろう。 私は自分からは何もできない。聞くままに、裁く。そして私の裁きは正しい。それは、私が自分の意志ではなく、私をお遣わしになった方の御心を求めているからである。」 「もし、私が自分自身について証しをするなら、私の証しは真実ではない。

では、尋ねよう。ユダヤ人がつまずいたのは、倒れるためであったのか。決してそうではない。かえって、彼らの過ちによって、救い

では、尋ねよう。ユダヤ人がつまずいたのは、倒れるためであったのか。決してそうではない。かえって、彼らの過ちによって、救いが異邦人に及びました。それは、彼らに妬みを起こさせるためです。 彼らの過ちが世界の富となり、彼らの失敗が異邦人の富となるのであれば、まして彼らが皆救いにあずかるとすれば、どんなにかすばらしいことでしょう。 そこで、あなたがた異邦人に言います。私は、異邦人への使徒として、自分の務めを光栄に思っています。 何とかして私の同胞に妬みを起こさせ、その幾人かでも救いたいのです。 彼らが捨てられることが世界の和解となるなら、受け入れられることは死者の中からの命でなくて何でしょう。 麦の初穂が聖なるものであれば、パン生地もそうであり、根が聖なるものであれば、枝もそうです。 しかし、ある枝が折り取られ、野生のオリーブであるあなたがそれに接ぎ木され、根から豊かな養分を受けているからといって、 あなたは、折り取られた枝に対して誇ってはなりません。誇ったところで、あなたが根を支えているのではなく、根があなたを支えているのです。 すると、あなたは、「枝が折り取られたのは、私が接ぎ木されるためだった」と言うでしょう。 そのとおりです。ユダヤ人は不信仰のために折り取られ、あなたは信仰によって立っています。思い上がってはなりません。むしろ恐れなさい。 神が自然に生えた枝を惜しまなかったとすれば、恐らくあなたを惜しむこともないでしょう。 だから、神の慈しみと厳しさとを考えなさい。厳しさは倒れた者に向けられ、神の慈しみにとどまるかぎり、その慈しみはあなたに向けられるのです。そうでなければ、あなたも切り取られるでしょう。 彼らも、不信仰にとどまらないならば、接ぎ木されるでしょう。神は彼らを再び接ぎ木することがおできになるからです。 もしあなたが、自然のままの野生のオリーブの木から切り取られ、元の性質に反して、良いオリーブの木に接ぎ木されたとすれば、まして、元からこのオリーブの木に付いていた枝は、どれほどたやすく元の木に接ぎ木されることでしょう。

主はサムエルに言われた。「いつまであなたは、サウルのことで悲しんでいるのか。私はイスラエルの王位から彼を退けた。角に油を

主はサムエルに言われた。「いつまであなたは、サウルのことで悲しんでいるのか。私はイスラエルの王位から彼を退けた。角に油を満たし、出かけなさい。あなたをベツレヘム人エッサイのもとに遣わす。私は彼の息子の中に、王となる者を見つけた。」 サムエルは言った。「どうして、私が行けましょう。サウルが聞いたら、私を殺すでしょう。」主は言われた。「若い雌牛を引いて行き、『主にいけにえを献げるために来た』と言いなさい。 いけにえを献げるときには、エッサイを招きなさい。あなたがなすべきことは、その時に私が教える。あなたは、私がそれと告げる者に油を注ぎなさい。」 サムエルは主が命じられたとおりにした。彼がベツレヘムに着くと、町の長老たちは不安そうに出迎えて言った。「お出でになったのは、平和なことのためですか。」 サムエルは言った。「平和なことです。主にいけにえを献げるために来ました。身を清めて、私と一緒にいけにえの儀式に出てください。」こうして、サムエルはエッサイとその息子たちを清め、いけにえを献げるために彼らを招いた。 彼らがやって来ると、サムエルはエリアブに目を留め、彼こそ主の前に油を注がれる者だと思った。 しかし、主はサムエルに言った。「容姿や背丈に捕らわれてはならない。私は彼を退ける。私は人が見るようには見ないからだ。人は目に映るところを見るが、私は心を見る。」 エッサイはアビナダブを呼び、サムエルの前を通らせた。サムエルは言った。「この者も主はお選びにならない。」 エッサイは次にシャンマを通らせたが、サムエルは言った。「この者も主はお選びにならない。」 エッサイは七人の息子をサムエルの前に通してみたが、サムエルはエッサイに言った。「主はこれらのうち、誰をもお選びにならない。」 サムエルはエッサイに言った。「あなたの息子はこれだけですか。」エッサイは言った。「末の子がまだ残っていますが、羊の群れの番をしています。」サムエルはエッサイに言った。「人をやって、彼を連れて来てください。彼が来るまでは、私たちは食卓に着きません。」 エッサイは人をやって、彼を連れて来させた。彼は血色が良く、目は美しく、姿も立派であった。主は言われた。「立って彼に油を注ぎなさい。彼がその人である。」 サムエルは油の入った角を取り、兄弟たちの真ん中で彼に油を注いだ。この日以来、主の霊が激しくダビデに降るようになった。サムエルは立ってラマに帰った。

主はモーセに言われた。「前のような二枚の石の板を切り出しなさい。そうすれば、私はその板に、あなたが打ち砕いた前の板にあっ

主はモーセに言われた。「前のような二枚の石の板を切り出しなさい。そうすれば、私はその板に、あなたが打ち砕いた前の板にあった言葉を書き記そう。 明日の朝までに板を準備し、朝、シナイ山に登り、山の頂上で私の前に立ちなさい。 誰もあなたと共に登ってはならず、誰も山のどこにも姿を見せてはならない。羊も牛もこの山の麓で放牧してはならない。」 そこでモーセは、前のような二枚の石の板を切り出し、朝早く起きて、主が彼に命じられたようにシナイ山に登った。手には二枚の石の板を携えていた。 すると主は雲に包まれて降り、彼と共にそこに立って、主の名によって宣言された。 主は彼の前を通り過ぎて、宣言された。 「主、主、憐れみ深く、恵みに満ちた神。 怒るに遅く、慈しみとまことに富み 幾千代にわたって慈しみを守り 過ちと背きと罪とを赦す方。 しかし、罰せずにおくことは決してなく 父の罪を子や孫に さらに、三代、四代までも問う方。」 モーセは急いで地にひざまずき、ひれ伏した。 そして言った。「わが主よ、もし私があなたの目に適うのなら、どうか私たちの中にあって共に進んでください。かたくなな民ですが、私たちの過ちと罪とを赦し、私たちをご自身のものとしてください。」

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